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 大阪ガスの領木新一郎社長は十一日、記者会見し、阪神大震災で供給を停止した都市ガスの復旧工事が同日でほぼ完了したと発表した。すでに電気は二月末に仮復旧、水道も一部の事業所を除いてほぼ全面復旧しており、大震災で寸断された都市の主要ライフラインは、震災後約三カ月ぶりに機能を回復した。

 同日までの復旧戸数の累計は、住民と連絡不能で未点検の世帯一万九千戸も含めて約七十万四千戸になる見込み。現場をがれきが覆っているなどの事情で工事できない約千戸が未復旧だが、がれき除去が進み次第復旧させる。未復旧世帯は、神戸市東灘区二百九十戸、神戸市灘区二百八十戸、神戸市長田区百六十戸、神戸市中央区百二十戸など。当面はプロパンガスなどで代替する。

 震災に伴って同社が供給停止した世帯は八十五万七千戸。このうち、倒壊や焼失でガス使用が見込めない十五万二千戸を除く約七十万五千戸を復旧の対象とし、全国の都市ガス事業者の応援を含む延べ七十二万人が復旧作業を進めていた。応援作業員は、被災地から引き揚げる。被害総額は集計中という。

 同社は当初、三月上旬の全面復旧を見込んでいたが、(1)旧式のねじ込み式ガス管の損傷が激しい(2)浸水したガス管の水抜きやがれき除去の難航(3)交通渋滞・などで作業が遅れた。

 一方、復旧作業を指揮してきた「地震対策本部」(本部長・領木社長)が十七日付で解散し、新たに兵庫地区に「兵庫復興本部」(本部長・有本雄美常務)を設置。復旧作業を継続するほか、地方自治体のまちづくり事業に参画する。同時に本社に「震災復興推進室」を設置し、中長期的な地震対策計画立案などに携わる。

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 阪神大震災の被災地全域に、電気、水道に続いてガスがようやく戻った。大阪ガスは十一日、道路封鎖などで作業できない一部世帯は残すものの、一応の「復旧宣言」。延べ七十二万人を動員した大作戦はほぼ終結した。最後まで「こんろなし」「ふろなし」の不自由な生活を強いられてきた市民は、ほっとした表情。震災から三カ月を目前にライフラインのかなめがそろい、復興は階段をまた一歩上がった。

待ちわびた日
 未復旧世帯が約五十戸残っていた芦屋市では、この日、阪神芦屋駅近くの公光町で作業が続いた。

 ある主婦(65)は、三月中旬に水道が復旧して以来、電熱ヒーターでふろを沸かしていた。二世帯六人家族で、一人入るとお湯を継ぎ足すため、次に入るまで一時間ほど待った。「ほかにも暖房などに電気を使うので、ブレーカーがよく落ちました」と苦労を振り返る。

 近くの主婦、中岡多恵子さん(53)はこの三カ月間、カセットコンロで料理していただけに、やれやれの表情。しかし、ガス給湯器そのものが地震で故障しており、直るまでは銭湯通いという。

 付近では、長い間、公道上にもがれきが放置されていたが、「市がもう少し早く撤去してくれていれば、こんなに復旧が遅れることもなかったのに」と話していた。

商売ができる
 この日朝の段階で約千四百戸が残っていた神戸市。飲食店が密集するJR三ノ宮駅北側の加納町三、四丁目付近でも、朝早くから路面を掘り起こし、損傷したガス本管を取り換える作業が行われた。

 三カ月ぶりにガスが戻った居酒屋の経営者、田島ヤス子さんは「水が出るようになった今月三日に店を開けたばかり。カセットコンロは火力が弱く、お客さんに料理を出すのが遅れがちでした。やっと元通り商売ができる」と喜ぶ。

 ただ、本管の復旧は終えても引き込み管工事は一部で残り、「周辺にガスが通り始めているのに。店は休んだままで、あせる」と話す料理店主もいた。

史上最大
 復旧作業には全国の百五十五事業者一団体から、ピーク時は約三千七百人の応援が駆け付け、大阪ガスグループの六千人に加わるなど、かつてない規模。

 会社側は八千人を超す作業班の宿泊施設確保に四苦八苦した。震災発生直後に、大阪、尼崎などに約六十軒の旅館、ホテルを確保し、各自治体の施設を借りたほか、神戸港に客船四隻をチャーターして宿泊所にあてた。

 食料調達にも悩まされた。当初は名古屋など遠隔地で確保し、ヘリやフェリーで運んだこともあった。

1995/4/12
 

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