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復興へ 第18部 この国 震災3年の決算

(2-1)インタビュー 道のりどうみる
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 阪神・淡路大震災の復興の基本方針は、九五年二月に発足した首相の諮問機関「阪神・淡路復興委員会」で検討された。計十四回の提言・意見を提出、テーマは住宅、都市計画、産業復興など多岐にわたった。被災者の生活再建の遅れや格差、公的支援をめぐる論議を当時のメンバーはどうみているか。委員長を務めた下河辺淳氏と特別顧問だった元副総理・後藤田正晴氏に聞いた。

住宅再建に助成論も 平等の基準決められず
 阪神・淡路復興委員会 元委員長 下河辺淳氏

-被災者の公的支援法案の議論をどう考えるか
 「極端に言えば、遅いと思う。災害が起きた年なら違っていたと思うが、今は、五百万円をだれが受けとるかという議論は容易ではない。全壊した人にというと、もう建てた人や暮らしに困っていない人も入る。納税者として納得できないところがある。かといって、本当に困っている人は、五百万円では家は持てず、欲求不満が残る」

-復興委員会では議題に上ったのか
 「委員会席上で、私が提案し、自ら、難しいと決めた」

-議論の内容は
 「公的住宅に予算をつけるより、全壊して家を建てる人に五百万円助成する方がいいと言う意見があり、大論争になった。県や市と相談するうち、やはり公的住宅論にいったというのが実態だ。神戸のような百年都市の住民は、百年の暮らしを変えたくない、という意見が当然あるだろうと、議論があった」
 「あの時、公的住宅の建設を半分にし、その予算で五百万円を家を建てる人に援助する、というのは一つの政策だったと私は思う。今後の災害でも、街によってはそうした方がいい。漁村などでは、公営住宅という気にはならないだろう」

-なぜ、議論を進めなかったのか
 「平等にすることが分かりにくかった。だれに、どういう場合に援助をしたらよいのかという基準があるようでない。本当に困っている人、というのは言葉では分かるが、行政として決めるのは容易ではない。政策論としてはいいが、行政実務として成り立つビジョンにならなかった」

-委員長が見送りを提案したのか
 「復興委員会では緊急提案にまとめ切れない、と言ったら、委員も最後には仕方がないとなった」

-緊急三カ年計画をどう評価するか
 「道路や港湾、住宅など復旧事業や社会資本は、よく動いた。経済の八割復旧を高く評価すると同時に、八割を超えるものが見えないのが問題だ。それは、日本経済全体と金融がだめなこともあるが、地元の動きが鈍く、ビジネスが逃げ出す心配もある」
 「観光では、客を迎えるビジネスが動いていない。観光は『光を観る』と書く。神戸の光は何かがよく分からない。国と県から『健康管理』を観光に、との議論が出た。神戸に行けば成人病の知識を得、サービスを受けられる。そんな観光のネタを探さなければ」

-規制緩和も必要では
 「規制緩和がないとできないというのは、知恵がない時の言い方だ。企業がやるものが見えると、緩和か強化か具体的に出てくる。将来、八割経済を乗り越えるために、企業の顔が見えるようにするのもテーマ。行政や政治は、個別企業をバックアップしないが、マルチメディア都市などは、特定の一社がやって初めて具体的になり、ビジネスにつながっていく」

-委員会の総括を
 「官邸主導で官庁にトップダウンする初めての委員会だった。むろん、宿題も残った。経済、そして政府に依存しない近代的な市民意識をどうするかという課題もある。医・職・住が十分でないのも確かなので、議論を見守っている」

s生活への視点不十分 開発主導に悔い残る
 阪神・淡路復興委員会 元特別顧問 後藤田正晴氏

-今の被災地の現状をどう見るか
 「よく復興できたと思うが、都市災害は表面だけでは分からない。表通りを視察しただけでは見えてこない。表面的にはこの程度の復興と思うが、実は痛みはもっと深いのではないか。時間の経過とともに見えてくることがある」

-取り組みを振り返って
 「神戸の場合、港が大事だ。海外との競争だから。ふ頭の回復を最優先にやらないと、船を取られる。取られたら元に戻らない。当時の亀井運輸大臣に『港を最優先で』と話したら、すぐに現地に飛んだ。それがまず印象に残っている」

-復興委での論議は
 「あのやり方が間違っているとは思わない。まず道路とかライフラインが大事だから。根本的な復旧ならああいう形になる。みんなよくやったと思う。それはそうだが、開発復興になったという恨みはある。忘れてはならないのは生活の復旧だ。その点がどうだったか。もう少し、論議をすべきだったという気はする」
 「竹下さん(竹下登元首相)の依頼で顧問になったが、委員は開発型の人が多かった。どうも都市建設や開発に論議が集中した。職を失った人たちへの手当てを復興に応じてやるべきだった。悔いは残る」

-公的支援の必要性、個人補償の問題をどう考えるか
 「そこは大災害の時にいつも財政当局と意見が食い違う。だれにも責任がない災害で失った生活基盤を税金で補うのは、今の法ではできない。何か知恵はないのかと思う。被災地に何かということで、復興基金ができた。しかしそのぐらいのことしかできなかった」
 「よく予算が出たのは事実だ。ぼくが保証する。大蔵に、『大丈夫か』と聞いたくらいだ。ただあくまでも、既存の仕組みの中でだ。大蔵は平時の頭だった。それでは間に合わない。ぼくにも省庁にもなかった」

-金融機関が倒産しても預金は国が保護する。自然災害での損害は自己責任なのか
 「うーん、確かにそのへんは難しい。人的要因での被害より自然要因での被害を補償する方が筋かもしれん。税金での補償は難しいので、震災後、自民党内の議員連盟で地震共済制度を検討したが、国民全員がお金を出すかどうかがネックとなり踏み切れなかった。災害の生活再建は自助努力が最優先。だが、支援の新しい仕組みは必要だ。そうしないと国全体として、何か大事なものが抜けてしまう」

-国会には、議員立法で公的支援をという動きがある
 「今後の災害施策が現状でいいかを勉強しなくてはいけない。新しい制度がいる。しかし、それは役人の仕事だ。震災ではずいぶん役人が批判された。スイスの救助犬が検疫に手間取ったとかね。現状の手続きそのままなら、そうなる。だがそこは臨機応変に、やり方を考えるべきだった。役人は能力はある。しかし、気が利かないんだ」

国費4兆円はインフラ中心
 戦後最大の自然災害となった阪神大震災の復旧・復興には、四兆円を超す国費が投じられた。兵庫県や被災市町の負担分も加えると「十兆円近くの税金が注がれた」(県復興推進課)計算だ。しかし、道路や港湾など公共基盤の整備が中心で、直接、被災者への支援に結びつく施策は少ない。高齢者らの生活支援金支給などは行われたが、実現したのは震災二年近くたってからだった。

 兵庫県の調べでは、震災直後に編成された九四年度二次補正予算から九七年度予算までの復興関係事業費は総計四兆二千三百億円。半分の約二兆一千億円は道路や河川、港湾などの整備に、九千八百億円が仮設住宅と復興公営住宅の建設に割かれた。公営住宅の建設は三万一千百戸にのぼる。

 「現物給付が原則」とする国の考えを、山口均国土庁官房審議官は「生活の基本となる公共基盤や住宅を行政の責任で整備し、被災者に安心感を持っていただくため」と補足する。

 しかし、住宅が提供されても、生活再建そのものが困難なケースは多く、被災地の声を受けた国は公営住宅の家賃低減策を検討。九六年六月、家賃を五年間、最低六千円に引き下げる施策が発表された。

 さらに、与党復興プロジェクトチームは、高齢者らを対象にした生活支援金の支給を決定。自治体の震災復興基金に三千億円を積み増しし、その運用益を財源に充てる形で、毎月最高二万五千円、二・五年間の支給が九七年四月から実施された。

 支援金は昨年十二月、四十五歳以上の中高年世帯にも支給されることになった。同基金事務局は対象世帯を、高齢者と中高年層合わせて九万世帯、所要額を計六百三十億円と見込んでいる。

 自宅や事業所再建の二重ローン対策には、低利融資や利子補給など間接的な支援策しかない。生活再建の根幹となる雇用確保や、それを促す産業復興にも、大きな効果をもたらす施策は見当たらない。

1998/1/14

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