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復興へ 第18部 この国 震災3年の決算

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時隔て繰り返す「人守る国」の問い
 「財源」「公平」の壁変わらず

 阪神大震災を機に盛り上がる被災者の支援法案制定をめぐる動きについて、成立を目指す議員らは「災害犠牲者の遺族に見舞金を支払う『災害弔慰金法』成立当時と同じ議論が繰り返されている」と指摘する。同法成立は一九七三年。自然災害による個人被害に、個人責任の原則を修正した画期的な法制度と言われたが、私有財産制度や公平と平等の原則などの論議が続き、創設まで六年以上の歳月を費やした。

 被災者個人に国が援護措置を講ずるという論議に先べんを付けたのは、災害対策基本法が制定された一九六一(昭和三十六)年だった。

 社会党の辻原弘市氏は、衆院災害対策特別委で、第二室戸台風の被害に触れ、「被害は比較的低所得の人に手痛く当たった。政府としても、個人的災害を救う意味の諸施策をすべきだ」と発言した。これに対し当時の池田首相は「財政の状況、公平の原則などから案が見当たらない。貸付金などで対応したい」と述べ、当時も財源や公平性の問題がネックになったことがうかがえる。

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 議論が本格化するのは六七年八月、新潟県下越地区で起きた羽越水害以降だ。死者、行方不明者百三十四人に上る災害で、現職の参議院議員とその孫が命を落とした。

 訃報(ふほう)を聞いた息子の佐藤隆氏は、父母と長男、三男の死に「この怒り、悲しみをだれにぶつけたらいいのか」と、参院補選に出馬、自然災害救済の法律制定に乗り出す。

 同年、衆院災害対策特別委の小委員会に、災害対策の基本問題を各党がまとめた「災害対策要綱案」が出された。被災者への見舞金や弔慰金などが含まれ、大蔵省は「個人災害は、現在の社会制度の下では、補償することはできない」と否定的だった。

 一方で佐藤首相が「共済制度なら考慮の余地もある」との趣旨を発言、共済制度が浮上する。七〇年には、共済型の法案として初めて、公明党から「災害救済法案」が出されたが、審議未了に。この間、全国知事会も「国民災害共済制度構想」をまとめた。

 政府も総理府を中心に関係省庁と共済制度を検討したが、強制加入を採用するだけの公益性がない▽掛け金徴収が困難▽負担と給付の不均衡などの問題が挙げられ、壁に当たった。

 七二年には、衆院に「災害対策の基本問題に関する小委員会」が設けられ、共済から再び個人救済に議論が移った。

 同小委員会がまとめた「災害弔慰金構想案」を災害対策特別委に報告したところ、政府側の砂田重民・総理府総務副長官が「どこにも苦情を持って行き難いこと、人命の損失への弔慰金であること、相互扶助による拠出が難しいことなどから、国が補助することは、十分に意義がある」と述べ、政府として取り組むことを表明。法案制定の流れが固まった。

 政府は、この構想発表に伴い、同年十月に「市町村災害弔慰金補助制度要綱」を発表。同年六月一日以降の災害にさかのぼって適用した。被害を受けた市町村が、死亡者の遺族に災害弔慰金を支給した際、十万円を限度に、国が二分の一、都道府県が四分の一を補助する内容だった。

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 そして翌年、佐藤隆氏が委員長を務める自民党の小委員会で、住居、家財などの物的損失に対する災害援護資金の貸し付けと、弔慰金の引き上げを盛り込んだ「災害弔慰金の支給及び災害援護資金の貸付けに関する法律案」をまとめ、委員長提案し可決。八月に参院本会議、九月に衆院本会議で可決、成立した。法案で弔慰金は、五十万円以内に引き上げられた。

 佐藤氏の父母、そして二人の息子の七回忌の年だった。

1998/1/13

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