詩人の谷川俊太郎さんが亡くなった。92歳、老衰だという。
愛読してきた詩人だけれど、大きな衝撃があるかといわれると、そうでもない。どこかこの世の人ではないような気がしていたせいかもしれない。
自分の感性や発想の中に、というより体の一部に、谷川さんの言葉が入っているように感じる。だから生死はあまり関係ないのだろうか。
谷川さんの言葉には幼いころから触れ続けてきた。「鉄腕アトム」の主題歌、漫画「ピーナッツ」シリーズやレオ・レオニの絵本の翻訳でも親しみ、10代後半からは彼の詩集を求めて読んだ。
30代で文芸担当になり、本人と会えるようになったのは、二十数年前だ。
詩の会合や朗読会などで見るときの彼は仙人のようであり、無邪気な子どものようでもあった。詩人という抽象的な存在に思えることも多かった。小柄な人で、Tシャツ姿ですっくと立ち、平明だが深い詩の言葉を淡々と吐き出し、聴衆を遠い世界に連れていった。
■青空
長いインタビューをしたことがあるのは1度だけで、2004年暮れだった。カメラマンと同僚と3人で車に乗り、会社を出た。事故でもあったのか道が混んでいて、途中から車がほとんど動かなくなった。余裕を持って出たはずなのに、じりじりと時間が過ぎる。私と同僚はカメラマンを残して車を降り、走りに走った。それでも大幅に遅刻した。30分ぐらい遅れたのではなかったか。途中で電話をして説明していたとはいえ、谷川さんはいらついたそぶりを見せず、何事もなかったように対応してくれた。ほっとした。
「あさ/朝」と「ゆう/夕」という詩集について聞いているうちに、「青空」の話になった。
「昼間というのは、孤独に人類だけが生きているというようなことを、あのきれいな青空のおかげで忘れさせている時間だという気がしているんです。人間本来の実存というのは、大げさにいうと、暗黒宇宙のただ中にぽつんと地球が浮かんでいて、そこで他の知的生物もいない。夜は逆にそのことをあらわにするから、何か不安な時間でもあるんだけれど、でもそっちの方が人間存在にとっては本当で、深いところに気持ちが届く、そんな感じを持っています」
話を聞きながら「二十億光年の孤独」を思い浮かべたのは言うまでもない。谷川さんが18歳のときの詩で、第1詩集のタイトルにもなった。彼はこの時からすでに、宇宙の中の人類の孤独をうたっていたのだ。
「人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする(中略)万有引力とは/ひき合う孤独の力である//宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う//宇宙はどんどん膨んでゆく/それ故みんなは不安である(後略)」
人はみな孤独であるというのは彼の詩の真ん中にある真理であると思う。一人で生まれ、一人で死んでゆく私たち。だからいつも人は寂しい。だから人はひかれ合う。
「悲しみは/むきかけのりんご/比喩ではなく/詩ではなく/ただそこに在る/むきかけのりんご」(詩「悲しみは」より)
「私が生まれた時/私の重さだけ地が泣いた/私は少量の天と地でつくられた」(詩「帰郷」より)
「誰にもせかされずに私は死にたい/扉の外で待つ者が私をどこへ連れ去るとしても/それはもうこの地上ではないだろう/生きている人々のうちにひそやかに私は残りたい/目に見えぬものとして 手で触れることの出来ぬものとして」(詩「誰にもせかされずに」より)
■朗読
インタビューの途中から、話題は「朗読」になった。
「詩を書き始めたころは、活字を通して黙読するような詩、要するに頭でっかちな詩でいいと思っていたんだけれども、詩を声に出して読むようになってから、詩というのは本来、全感覚器官を包み込むものだったんだと気付いたんです。詩の源に帰るような感じですよね。文字を使うようになり、印刷技術が発明されて、今みたいな形になっているけれども、もともと僕たちは踊ったり、歌ったり、語ったりしていたのだから、その方が健康なんだっていうふうになってきましたね」
「自作を何百人かの前で読む。こっちが何かを言うと笑ってくれたり、途中で出て行ったりする。受け手との回路ができるのが、すごくいいんです。それによって励まされるし、一種の批評も感じることができる」
「朗読をするようになってから、詩集って楽譜みたいなものなんじゃないかと思うようになりました。声を出すことで、つかの間でも受け手が何かを感じてくれたときに、初めて詩というものが成立する」
■懐疑
谷川さんは、戦後日本を代表する詩人だった。詩だけで食べていける数少ない人だった。それなのに、いやだからこそ、なのかもしれない。詩人である自分を懐疑的に見ていた。詩人である自分に、実はなじめなかったような気がする。
「本当の事を言おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない」(詩「鳥羽1」より)
「だが自分の詩を読み返しながら思うことがある/こんなふうに書いちゃいけないと/一日は夕焼けだけで成り立っているんじゃないから/その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから/それがどんなに美しかろうとも」(詩「夕焼け」より)
「世間からは詩人と呼ばれているけれども/ふだんはぼくは全く詩というものから遠ざかっている/飯を食ったり新聞を読んだり人と馬鹿話をしている時に限らない/詩のことを考えている時でさえそうなのだ(中略)言葉で書くしかないものだが詩は言葉そのものではない/それを言葉にしようとするのはさもしいと思うことがある/そんな時ぼくは黙って詩をやり過ごす/すると今度はなんだか損したような気がしてくる」(詩「理想的な詩の初歩的な説明」より)
谷川さんのこうした態度が、自分を疑うまなざしが、私は好きだった。
少し居心地悪そうにこの世界にいて、詩の言葉を信じたり疑ったりしながら、書かずにはいられなくて、誰にもせかされずに、この世を去った谷川さん。
私は、りんごをむくとき、思いだすかもしれない。「悲しみは/むきかけのりんご」という詩句を。そして、詩人の鋭利な言葉によって、世界を把握していることをかみしめるのだ。(田村文・共同通信記者)