哲学者の鷲田清一さん(75)=大阪大名誉教授=による3カ月に一度のエッセー「汀にて」。今回は阪神・淡路大震災から30年の特別編として、インタビュー形式で「災害の記憶」について語ってもらいました。
-震災当時は?
「京都に住み、大阪大学(豊中キャンパス)に通っていました。研究室は本棚が倒れ、ぐちゃぐちゃに。2週間ほどして、灘高校(神戸市東灘区)の避難所に行きました。自分に何ができるか分からないけれど、とりあえず物資を持って、高校3年だった次男も一緒に。体育館には人がぎっしり。地震の時、どうしたとか、家がどうやったとか、被災の話を聞きました。帰りぎわ、おばあさんが『おなか減ったやろ』って、いなり寿司を僕らにくれようとして、『めっそうもない』と断って…。泣きそうになりました。そして梅田まで戻ると、レストランも飲み屋も普通に営業していて、その落差が衝撃的でした」
-17日で阪神・淡路の発生から30年になりました。兵庫では、記憶の継承が難しくなる「30年限界説」が取りざたされています。