2007年6月、藤尾益雄(みつお)氏(58)は父の後を継ぎ、42歳で神明(現神明ホールディングス)の社長に就いた。2年目から社内改革に着手したが、激務やストレスが少しずつ藤尾氏の体をむしばんでいった。
若かったですし、4代目という目でも見られる。絶対に失敗できないプレッシャーがありました。当時は売り上げ至上主義的なところもあり、数字ばかりを追いかけていました。そのために利益率が低かった上に有利子負債は多く、財務体質が悪化していたのです。そこで2年かけて経費節減や組織再編に取り組みました。会社のうみは出し切ったものの、ハードワーク続きで体はぼろぼろでした。
09年の秋、突然貧血に見舞われました。会社帰りに歩けず電柱に寄りかかったまま、しばらく動けなくなりました。なかなか原因が分からず、3カ所目の神戸中央市民病院の検査で急性骨髄性白血病と分かりました。「社長をやっているので今日から入院は無理です。1、2週間ください」と言ってみたのですが「何を言っているんですか。もう少し遅かったら死んでいたくらいなんですよ」と戒められ、緊急入院することになりました。