ダイセルで技術者出身として初の社長になった小河義美氏。「論文を読んで難しいことを言うと言われるが、自分のスタイルを貫いているだけ」という=姫路市網干区新在家、ダイセル網干工場(撮影・斎藤雅志)
ダイセルで技術者出身として初の社長になった小河義美氏。「論文を読んで難しいことを言うと言われるが、自分のスタイルを貫いているだけ」という=姫路市網干区新在家、ダイセル網干工場(撮影・斎藤雅志)

 1919(大正8)年、国内のセルロイドメーカー8社が合併して誕生した化学メーカーのダイセル(大阪市)。小河義美氏(64)は創業100年の節目に、技術者として初めて社長に就任した。生産技術畑一筋に歩み、自ら中心となって開発した、工場全体で運営・運転を最適化して生産効率を高める「ダイセル式生産革新(ダイセル方式)」は、多くの企業で採用されている。

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 パリオリンピックを前に金髪に染めました。五輪、パラリンピックとは縁があって。たつの市出身でマウンテンバイクのパリ五輪代表、川口うらら選手はうちの社員、日本ブラインドサッカー協会とはパートナー契約を結んでいます。実は、金髪に染めるのは東京五輪の時に次いで3回目です。最初は2019年の社長就任時。社内報に写真を載せる時でした。会社を「変える」という意思を社内に訴えたかったんです。

 社長就任後、次々と改革を進める。海外拠点を集約、防衛産業からは撤退した。

 最初は改革が早すぎて、ついてこられない人もいました。会社は変わったと実感しています。地味で保守的な会社だったのが、面白い会社になってきました。

 研究開発では途中入社の人を中心とした部署をつくりました。大手印刷会社の常務や同業他社の副社長、総合電機メーカーの中央研究所長など、取引先の役員クラスです。違った視点でうちの製品を見てもらいたかった。大学との共同研究など新たな取り組みがこの部門から生まれました。