神戸空襲で焼け野原となった市街地。内橋の思想の原点となった=1945(昭和20)年
神戸空襲で焼け野原となった市街地。内橋の思想の原点となった=1945(昭和20)年

 緑の山が迫る閑静な住宅街の一角に差しかかったとき、内橋克人の5歳年下の弟、伸二(88)が声を上げた。「ここですよ。この敷地に防空壕(ごう)があったのです」。神戸市須磨区大手町。戦前に建てた生家は戦火をかろうじて免れたが、1995年の阪神・淡路大震災で損壊し、取り壊された。