1935(昭和10)年、立派な楠公像が六甲山最高峰の場所に立ったが、戦時中の金属類回収令でなくなってしまった。日本人が崇敬していた楠木正成(まさしげ)の銅像がなくなった後、ぽつんと残った台座の周辺一帯を、皮肉にも戦勝国である米軍が接収した。
その話を聞いたとき、かなり以前のことだろうと思っていた。すると「けっこう最近で、平成に入ってからもですよ」と言われて少し驚いた。
教えてくれた六甲歴史散歩会代表の前田康男さんは「市街地から遠く離れたこの地にも、時代の波が押し寄せ続けたんですよ」と暗い顔をする。
45年、日本は敗戦した。戦時中は日本陸軍の高射砲陣地だった六甲山最高峰一帯を、戦後に米軍が接収。神奈川県の座間基地と山口県の岩国基地を結ぶ中継地として、在日米軍施設「六甲通信所」が設けられた。山の頂上にある巨大なパラボラアンテナは住宅街からも見えたという。