事故1年後から始め、計27冊を数えた上田直子さんの日記。亡くなった長女智子さんに語りかけるように気持ちを書き記してきた(撮影・小林良多)
事故1年後から始め、計27冊を数えた上田直子さんの日記。亡くなった長女智子さんに語りかけるように気持ちを書き記してきた(撮影・小林良多)

 「智ちゃん、今日ね」。尼崎JR脱線事故で長女の平野智子さん=当時(39)=を亡くした上田直子さん(86)=丹波市市島町=は事故の1年後から日記を書き始めた。1日の出来事を娘に語りかける。まるで「交換日記」のように。返事は返ってこないけれど、大学ノートは今、27冊目になった。

 幼稚園の先生だった智子さんは結婚を機に退職し、小中学生の男の子3人の子育てに追われていた。

 忙しくても、夕方には毎日電話をくれた。子どものこと、夕飯の献立。何でも話した。

 その日常が突然、断ち切られた。智子さんは脱線した快速電車の1両目に乗っていた。

 3人の孫を連れ、夫たちとともに病院を捜し回った。遺体安置所で再会できたのは事故翌日の夜。

 死を受け入れられないまま1年が近づいたとき、ふと思い出した。

 智子さんが小学校の低学年の頃だ。上田さんが病気で入院した2週間、「寂しい思いをさせたくない」と日記を交わした。

 「また話しかけたい」-。天国にいる智子さんとの交換日記が再び始まった。

悔しさ、悲しさ日記に 孫3人成長、喜び分かち合えず