黄色い手袋をつけてコースを駆ける岡田雅宏さん(中央)=16日午前、明石市大蔵海岸通1(撮影・風斗雅博)
黄色い手袋をつけてコースを駆ける岡田雅宏さん(中央)=16日午前、明石市大蔵海岸通1(撮影・風斗雅博)

  阪神・淡路大震災の発生から30年という節目の年の神戸マラソン2025(神戸新聞社など共催)。阪神・淡路から復興を遂げた街を、一歩一歩踏みしめた男性がいる。能登半島地震で被災した石川県珠洲市の岡田雅宏さん(70)だ。「かつて被災地だった場所を元気に走り、石川県の人に勇気を届けたい」と42・195キロを走り切った。

 昨年1月1日、「走り初め」のジョギング中だった岡田さんは、自宅から約7キロ離れた場所で激震に襲われた。自宅へ向かって1メートルほど隆起した道路を歩き出すと、崩れ落ちる民家が目に入った。海沿いの自宅へ帰り着くと津波から逃れるため、車で約1キロ離れた高台へ避難。「家族の無事を確認した時は、足の力が入らなかった」。夜空の星が憎らしいほど輝いていた。

 3月からトレーニングを再開。「『一からのスタート』として、決心の表れだった」。当たり前の暮らしが送れるありがたさを感じた。今年1月にはトラックドライバーの仕事に復帰。ようやく不自由なく生活できるようになった。

 それでも、街に目を向ければ仮設住宅が数多く残り、道路の補修も道半ば。自宅近くの地域では高齢化が進み、倒壊して更地になった家も少なくない。

 震災から30年のあゆみを経た神戸の街。大会への参加で感じたことがある。それは「前を向いて手を取り合った市民がいたからこそ、今がある」ということ。石川県も神戸のように元通りになる日が必ず来る。

 「完走することで思いを表現できた。前を向き、今後も故郷のために走り続けたい」。岡田さんはすがすがしい表情で汗をぬぐった。(浮田志保)

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