震災時の状況、加古川市の仮設校舎での学校生活について話す(左から)田尻善紀教頭、池田紀子教諭、岡本菜穂子教諭=兵庫大付属須磨ノ浦高校(撮影・増井哲夫)
震災時の状況、加古川市の仮設校舎での学校生活について話す(左から)田尻善紀教頭、池田紀子教諭、岡本菜穂子教諭=兵庫大付属須磨ノ浦高校(撮影・増井哲夫)

 1995年の阪神・淡路大震災で神戸市須磨区の校舎が全半壊し、大半の教室が使用不能となった須磨ノ浦女子高校(現兵庫大付属須磨ノ浦高)。生徒と教員は再建までの約2年間、同じく学校法人睦学園が運営する兵庫大(加古川市平岡町新在家)敷地内の仮設校舎で過ごした。震災の記憶や学び舎(や)の移転、加古川市での学校生活について、当時若手教員だった田尻善紀教頭(62)、池田紀子教諭(61)、岡本菜穂子(なおこ)教諭(56)に語ってもらった。(聞き手・田中朋也)

加古川の仮設初登校、みんなうれしそうだった

 -震災で校舎1棟が全壊、2棟が半壊した。半壊でも4階の廊下から1階が見えるほどの穴が開くなど、70教室のうち65教室が使えない状況。最初に駆け付けたのは池田教諭だった。

 池田 課題考査の日で、加古川市の自宅をいつもより早く出たところ大きな揺れがあり、停電。車で学校に向かったが、加古川でも信号が消えていた。午前7時半ごろ学校に到着。校舎の被害の大きさにがくぜんとした。その後、半壊だった校舎の職員室から教職員に連絡を取った。

 田尻 神戸市内の自宅マンションで家族も無事だった。同僚から「学校がつぶれている」と連絡があり、ミニバイクで学校へ向かったが、近づくにつれ被害が大きくなり、空は長田区の火災の煙で覆われていた。

 岡本 教員が集まると手分けして生徒の安否を確認した。私は自転車で近隣の生徒の家を回った。(9日後に)生徒全員の無事を確認できた時は、教員みんなが胸をなで下ろした。