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平尾誠二さん特集

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イニィシャルの頭文字をとって「H2O」。ラグビーの普及活動に三位一体での取り組みを始める左から平尾誠二さん、林敏行さん、大八木敦史さん=2006年8月、神戸市東灘区
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イニィシャルの頭文字をとって「H2O」。ラグビーの普及活動に三位一体での取り組みを始める左から平尾誠二さん、林敏行さん、大八木敦史さん=2006年8月、神戸市東灘区
神戸製鋼が7連覇を達成した全国社会人大会決勝で攻め込む平尾誠二さん(左)=1995年1月、東京・秩父宮ラグビー場
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神戸製鋼が7連覇を達成した全国社会人大会決勝で攻め込む平尾誠二さん(左)=1995年1月、東京・秩父宮ラグビー場
ノーベル医学生理学賞の山中伸弥・京都大iPS細胞研究所長との対談後、ラグビーボールを手に笑顔を見せる平尾誠二さん(左)=2013年11月、京都市内
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ノーベル医学生理学賞の山中伸弥・京都大iPS細胞研究所長との対談後、ラグビーボールを手に笑顔を見せる平尾誠二さん(左)=2013年11月、京都市内

 ラグビー日本代表などで不動の司令塔として活躍し、代表監督も務めた神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)が20日午前、死去した。闘病生活をしていた。53歳。京都市出身、自宅は神戸市東灘区。

 端正な顔立ちに、口ひげがよく似合った。元スター選手で日本代表監督も務め、「ミスターラグビー」と称された平尾誠二さん。現役引退後も幅広い人脈を築き、多くの指導者や文化人を巻き込んでスポーツの社会的価値を訴え続けた。

 軽快な関西弁による平尾さんの組織論や指導論には定評があり、政財界からの講演依頼も多かった。元サッカー日本代表監督の岡田武史さんや、京都大iPS細胞研究所所長・山中伸弥教授らとの対談を通じて、後進に提言することにも積極的だった。

 現役時代のプレーからは想像しにくいが、一昔前のスパルタ的な指導法を否定しない。京都・伏見工高時代に「泣き虫先生」の愛称で知られる恩師、山口良治氏から受けた鉄拳制裁もジョークを交えながら振り返り、リーダーの資質として「この人についていこうと思わせる求心力が必要」と説いた。

 神戸製鋼で1995年1月に日本選手権7連覇を達成した2日後、阪神・淡路大震災で被災。神戸市内の自宅が倒壊した平尾さんは後に「個人の非力さを痛感し、コミュニティーに興味を持つようになった」と語っている。2000年、スポーツを通じた地域づくりを後押しするNPO法人「SCIX」を立ち上げ、自ら理事長に。08年には日本サッカー協会の理事になるなど、活動の場を広げた。

 昨秋、日本代表が旋風を巻き起こしたワールドカップ(W杯)イングランド大会開幕直前に倒れ、一時入院した。初戦の南アフリカ戦は、ラスト10分の攻防を現地から電話で実況中継してもらい、歴史的金星を挙げた瞬間の大歓声を聞いた。

 「電話越しでも緊張感や盛り上がりが伝わった。あれがW杯。この成功体験を19年(W杯日本大会)につなげていかなあかんね」。

 日本大会に向けては、大会組織委員会の事務総長特別補佐に就任し、「顔」としての活躍が期待されていた。19年W杯と20年東京五輪を控え、スポーツを文化としてとらえる機運が高まる中、日本は大事な先導役を失った。(小川康介)

2016/10/20
 

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