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平尾誠二さん特集

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【サッカー元日本代表監督・岡田武史さん】

 かっこええし、頭も切れよる。全部そろっていた。対談したときに最後に言った言葉、「岡田さん、スポーツから日本の社会を変えたいんですわ」というのは今でも忘れへん。文化や国民性をスポーツ界から変える。今、FC今治のオーナーをやっているが、このきっかけをくれのはお前や。よくスポーツの垣根を越えた、でかい話をした。もうばか話もできへん。ただたださみしい。生まれ変わってももう一度、会う気がするわ。もう一回、会おう。

【同大や日本代表でともにプレーした東田哲也さん】

 大学の同級生で、ワールド時代は同じ神戸のライバル。縁があったね。大学の同級生がいるチームには絶対負けたくないという思いが強かった。ずっと打倒神戸製鋼で来て、最後に勝ったとき、もちろんうれしかったけど、平尾は(試合に)出ていなかった。あいつがでていたらどうだったかな。みんなのヒーローだけど、身近な平尾を知ることができたことが一番の思い出。よく飲んでばか話をした。これから同級生で集まるときも、平尾の話題はずっと出るはず。一緒に飲んでいるような気持ちになるだろう。

【兵庫県ラグビー協会・田中康憲会長】

 彼(平尾さん)ほど発信力のある男はいない。2019年のラグビーワールドカップやオリンピックに向け、とにかく彼の後を追ってやっていかないといけない。非常に残念だが、彼が縁あって神戸に来てくれて、兵庫のラグビーは強くなったと思っている。そのことにはとても感謝している。

【元ラグビー日本代表主将・松尾雄治さん】

 平尾は本当に先を行っていたね。まずワンフォーオール、オールフォーワン、ワンフォーオールっていうのは、われわれ日本人はできますよねって言う。でもオールフォーワンってなかなかできないじゃないですか、そういうことを最初から平尾君は言っていた。だから一人が判断したら、それに全員がついていく、それが強いチームなんじゃないかと言っていた。たいしたもんだよね。僕らの時代は精神論が強かったし、まずチームがどうしようかということばかり考えていた。そういう時代に平尾君は個人が大切なんだ、個人の動きに全員が寄っていくんだよということを言っていた。

 あと面白かったのはウェールズ遠征のときに平尾君がメンバーに入ってきた。僕キャプテンでね、ABCとかXYZとかいろいろサインを考えていったんですよ。そしたら練習で平尾君が『日本語の方がいいんですよ。相手に分からないから』って言って。早く言ってよって。それからその遠征はうまくいったんですよ。全部、日本語のサイン。『千田(ちだ)左』っていうサインとか。試合中かっこわるいけど、それもあいつのせいですよ。

 みんないつかあの世に行くわけですけど、あいつは天国に行ったわけだから。俺は地獄だけどね。天国と地獄で試合をやるんだ。平尾率いる天国チームと、松尾率いる地獄チーム、さあどっちが勝つでしょう。

【平尾誠二さんと共に神戸製鋼でプレーした林敏之さん】

 改めて、ええ男やなあ、そう思ったね。病気のことは僕らにも何も話さなかった。『お前、大丈夫か』と聞いても『学生時代の体形に戻りました』とか言うてね。そんなわけないのに。彼なりの美学やったんやろね。やりたいことはいっぱいあっただろうし、彼にできること、彼しかできないこともいっぱいあったと思う。でも完全燃焼じゃない? 人の何倍も人生を生きた、そう思う。

 僕がキャプテンのときは神戸製鋼は優勝できなかった。平尾が来て、キャプテンになって初優勝した。そのときの表彰状を僕に取らしてくれた。それが最高の思い出。

【元日本代表プロップの神戸製鋼・山下裕史選手】

 いろんな道を切り開いて格好良すぎる人。グラウンドで一緒にプレーはできなかったが、指揮官と選手としての関係を築けて良かった。亡くなった今、あらためてすごい人といたんだなと思っている。

【元日本代表WTBで神戸製鋼元選手・平尾剛さん】

 心の整理がまだ付いていないし、言葉にならない。今の自分がいるのは平尾さんのおかげ。決してああしろこうしろと結論を押しつけることなく、『たくさんの選択肢の中から自分で選べ』と言ってもらった言葉が一番印象に残っている。今、神戸親和女子大准教授として教えていることも、知らず知らずのうちに平尾さんの教えが入っている。平尾さんの遺志を受け継いで、僕にできることを考えていきたい。

【五輪柔道金メダリスト・野村忠宏さん】

 何度かご飯もご一緒させてもらったが、頭がよくすべてがスマート。でもガハハと子どもみたいに笑うところもあって、とにかく魅力的な人でした。自分も現役を引退し、これからいろいろと相談にいきたかった。残念です。

【神戸製鋼で同僚だった元日本代表FW伊藤剛臣さん】

 初めて会ったのは法政大学3年の時に対戦した日本選手権。そのときから光り輝いて見えた。その後、神戸製鋼に勧誘してもらった。東京の企業への就職にこだわっていたが、「男だったら一度外の飯を食ってみろ」と言ってくれ、一緒に日本選手権7連覇を果たせた。

【神戸製鋼・橋本大輝主将】

 平尾さんはつらいとき、きついときに声を掛けてくれた。気持ちを切り替える力を教えてくれた。もっと話せば良かった。印象に残っているのは、「創造」という言葉。「人のまねをしていたら絶対に日本一にはなれない」とおっしゃっていた。恩に報いるには優勝しかない。昨シーズンは平尾さんの願いをかなえることができなかったが、挑戦し続ける。

【元日本代表主将のアンドルー・マコーミックさん】

 平尾さんが亡くなったことはショックだけど、今でも思い出すことは多い。一緒に良く話をした。(1999年の)ワールドカップ初戦の前日、平尾さんから手紙をもらった。「世界をびっくりさせることをやろう」と書いてあった。それが一番思い出深いね。

【元日本代表・大畑大介さん】

 平尾さんの視線の先には2019年のワールドカップがあったと思う。ここにこうやって集ったメンバーで力を合わせ、みんなでパスをつないでいくのがラグビーの良さ。次の世代に思いをつないでいきたい。

【元日本代表・元木由記雄さん】

 まだ受け入れられなくて、今でも、おい元木と呼ばれそうな気がする。僕の中ではずっと生きておられるような感じがしている。これだけの人が来て喜んでいると思います。

【神戸製鋼・大橋由和選手】

 プレーの中身というより、相手に対する尊敬の念を持つとか、気持ちの面を多く教わった。本当に神戸製鋼のことを大事にされていた方。この思いをチームのみんなで大切にしていきたい。

【関学大アメリカンフットボール部・鳥内秀晃監督】

 知り合ってから12年ぐらい。自由な発想の持ち主だった。スポーツは固定観念にとらわれても駄目で、おもろいというのが一番大事と互いに思っていた。個性を引き出した方がもっと面白くなるという話をしたら、そうやなあとうなずいていた。そういう文化は神戸製鋼にも根付いている。

【平尾誠二さんと親交があり、治療にも当たった京都大iPS細胞研究所長、山中伸弥教授】

 テレビの中のヒーローがほんとにいる、と思った。単にラグビーがうまいとか、それを超えた本当の意味でのヒーローでした。彼といつものようにご飯を食べに行って、楽しく過ごしたその直後に彼の病気が分かって。号泣しました。どうして平尾さんなんだと。でも治療に対して前向きな彼の気持ちを聞いて、じゃあ一緒に頑張ろうと。最後の1年は彼と一緒に闘った気がしています。(他界が)なんか信じられなくて。また会えるんじゃないかと。彼と食事した場所、ゴルフした場所に行くと、今でも彼が出てきそう。またいつか会いたいです。

【夫を通じ、平尾さんと交流があった西田ひかるさん】

 プレーする姿は見たことがなく、引退後のお付き合いしかありませんでした。ミスターラグビーと言われていますが、文化的なことも含め多方面に興味を持たれていたことが今日の集いからも伝わってきます。若すぎるだけに、残念です。

【平尾さんが行きつけにしていた神戸・三宮のシガーバー「マイバー」店主、片山幸彦さん】

 初めて店に来てくれたのは1987年に開店して間もないころ。それから29年間、ずっと変わらんかったね。明るかった。疲れを見せることもなかった。最後に来たのは昨年2月。そのときはもう痩せてて、お茶だけ出した。でも、僕はいなくなったことを認めてないんよ。毎日、『今日は来てくれるかな』と思う。だから毎晩、彼の写真の前にハイボールを作って置いている。これが毎日、最初の仕事。いつでも戻ってこられるようにね。

2017/2/10
 

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