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平尾誠二さん特集

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33年前のジャパンの仲間とともにラグビーの魅力を語る林敏之・ヒーローズ会長(前列中央)=20日夜、大阪市北区(撮影・大山伸一郎)
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33年前のジャパンの仲間とともにラグビーの魅力を語る林敏之・ヒーローズ会長(前列中央)=20日夜、大阪市北区(撮影・大山伸一郎)
この日亡くなった平尾誠二さんとの思い出を語る東田哲也さん=大阪市北区(撮影・大山伸一郎)
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この日亡くなった平尾誠二さんとの思い出を語る東田哲也さん=大阪市北区(撮影・大山伸一郎)
平尾誠二さんとの思い出を語る林敏之さん=20日夜、大阪市北区(撮影・大山伸一郎)
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平尾誠二さんとの思い出を語る林敏之さん=20日夜、大阪市北区(撮影・大山伸一郎)

 平尾誠二さんが亡くなった20日夜、大阪市内のホテルに、1983年10月、当時世界屈指の強豪だったウェールズ代表を最後まで苦しめたラグビー元日本代表選手が集まった。青少年育成の支援事業などにあたるNPO法人ヒーローズ(大阪府豊中市)の10周年イベント。くしくもメンバーだった平尾さんの訃報に触れることになり、故人をしのんだ。

 同法人の会長で、ともに神戸製鋼の黄金時代を支えた林敏之さん(56)は「長く一緒にやってきて、(1989年の)日本選手権初優勝が一番思い出深い」と振り返った。

 当時、平尾さんがチームの主将だった。表彰式のとき、前主将でけがから復帰したばかりの林さんに、「賞状をもらえるのは(苦労してチームを引っ張ってきた)林さんしかいない」と歩み寄ったという。林さんは「二枚目だが、嫌なところが一つもなかった」と人柄に触れ、「プレーをしながら状況を見てゲームをつくれる稀有(けう)なプレーヤーでもあった」と語った。

 高校時代からの好敵手で、同志社大でともに全国制覇した同級生の東田哲也さん(54)は「私は力で押したが、平尾は大柄な割にステップが切れる。カリスマ性もあった」と話した。

 大学卒業後は東田さんがワールド、平尾さんが神戸製鋼と、ともに神戸を本拠地とするチームに進み、現役引退後も交流を続けてきた。19日の昼にメールを送ったが、返信はなかったといい、東田さんは「良くなることを信じていた。とにかく会いたかった」と、無念さをにじませた。(小川康介、山本哲志、鈴木雅之)

2016/10/21
 

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