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平尾誠二さん特集

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故平尾誠二さんへの思いを語る山中伸弥教授=10日午後、神戸市中央区港島中町6、神戸ポートピアホテル(撮影・笠原次郎)
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故平尾誠二さんへの思いを語る山中伸弥教授=10日午後、神戸市中央区港島中町6、神戸ポートピアホテル(撮影・笠原次郎)
平尾誠二さんの遺影が飾られた会場で献花する一般参列者ら=10日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・大森 武)
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平尾誠二さんの遺影が飾られた会場で献花する一般参列者ら=10日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・大森 武)

 昨年10月に53歳で死去したラグビー元日本代表監督の平尾誠二さんをしのぶ「感謝の集い」が10日、神戸市内で開かれ、関係者約800人が参列した。平尾さんの闘病生活に寄り添ったのは、ラグビーを通じて親交を深めた京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(54)だった。「君を治せなくてごめんなさい」と、笑顔の遺影にわびた。

 神戸大医学部時代にラグビーに打ち込んだ山中教授は「(平尾さんに)ずっと憧れていた。本当のヒーローだった」。知己を得てからは同学年として酒を酌み交わし、ゴルフを楽しむ仲に。そんなとき、病魔が襲った。

 胆管細胞がんを患った平尾さんに、山中教授はできる限りの最新医療を紹介したという。ある治験を提案したとき、「世界でもやったことない治療。どんな副作用が有るか分からない」と言うと、「心配するどころか顔がパッと明るくなって『世界初のことやるんや』。そんなふうに言いました」。山中教授はそう懐かしむ。

 弔辞では、平尾さんが亡くなる前日の病室を回想した。「なかなか声が出せず聞き取れなかったが、(長女早紀さんが結婚し)『平尾さん、もうすぐおじいちゃんやな』と言ったら、はっきり分かる声で『まだまだですわ』と。はにかみながらも、うれしそうでした」。それが、2人の最後の会話になった。

 「亡くなるまでの1年間は、彼と一緒に闘った気がしている。最初の診断のことを思えば、本当に頑張られたと思う。でも、もっと頑張って生きてほしかった」。医者として、友として。救えなかった無念の思いをかみしめた。(山本哲志)

2017/2/10
 

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