2020年7月に発生した熊本豪雨。人吉・球磨地域は球磨川の氾濫によって壊滅的な被害を受けた。
映画『囁きの河』(6月27日より熊本県先行上映中、7月11日より全国公開)は、球磨川くだりの再開を信じる息子と22年ぶりに帰郷した父の葛藤を、雄大な自然を背景に描き出す。
■映画の醍醐味
「犠牲者も出た災害を取り扱うわけですから、生半可な気持ちでの参加は許されない。役作りのための船頭の稽古が、結果的にその土地に直接触れ、その地域に生きる方々の復興への思いや球磨川を知る大きな一助になりました」
そう語るのは、俳優の渡辺裕太(36)。仮設住宅に暮らす青年・文則を演じている。自分を捨てた父親に憎悪を抱きながら、かつて一緒に父と乗った舟の船頭を目指す役どころだ。
「トータルで2週間くらい、球磨川で和船を漕ぐ練習をしました。練習期間中はほぼ1日舟に乗っていたので、まるで実際に船頭の見習いになったような感覚。何度か足を運ぶうちに人吉・球磨地域に到着すると地元に帰って来たかのような気分にもなって。これが映画作りの醍醐味かとうれしくなりました」
とはいえ櫓を駆使して和船を漕ぐのは初挑戦。楽なものではなかった。
「櫓を押したり引いたりして舟を操るわけですが、わずか数センチの櫓杭の上に櫓を軽く引っかけているだけなので力の入れ方や角度が悪いとゴトッと落ちてしまう。櫓も結構な重量があるので、波に揺られながら元の位置に戻すのは大変。舟を漕ぐという単純な作業の中には実は奥深さが詰め込まれていて、舟が自分の意図した方向に進むだけで感動しました」
■現地訪れるきっかけに
練習の舟の上ではコーチ役の船頭と渡辺、そして父親役の中原丈雄の3人だけの時間が流れた。
「3人で何時間も同じ舟に乗り、時には流れる景色を無言でただただ見つめる。その時間こそ、僕が演じた文則が生きてきた時間だと感じました。劇中では文則と父親の間には深い溝がありますが、幼い頃の彼はこうして父親と一緒に舟に乗っていたのだろうと。役作りをする上で欠かせない時間になりました」
球磨川を望む雄大な景色に加え、実際の仮設住宅でのロケや、モデルとなった旅館での滞在など現地ならではの撮影も物語に没入する手助けになった。
「復興に尽力された方々に見守られながらの撮影で、朝の出発時に『頑張ってね!』と言われたり、『今日はどんなシーンなの?』と聞かれたりして。地元の皆さんが映画製作の一員のようになって僕らを応援してくれる。目の前には物語の舞台となる景色が広がっているので感情が途切れることもありません。雨が降ったら設定を変えて雨のシーンにするなど、その土地の自然をそのまま受け入れて撮影する日々でした」
渡辺にとって人吉・球磨地域は第二の故郷になったようだ。
「山を越えた先に広がる街の景色も綺麗で、食文化も素晴らしく美味しいものばかり。この映画が人吉・球磨地域を訪れるきっかけになったらうれしいです」
(まいどなニュース特約・石井 隼人)