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崔秀光さんの遺影の前で語り合う同級生とその子どもたち=11日午後、神戸市須磨区千歳町1(撮影・斎藤雅志)
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崔秀光さんの遺影の前で語り合う同級生とその子どもたち=11日午後、神戸市須磨区千歳町1(撮影・斎藤雅志)

 阪神・淡路大震災で亡くなった朝鮮大学校外国語学部2年、崔秀光さん=当時(20)=の同級生が11日、9年ぶりに神戸で同窓会を開いた。各地から集まった20人が同市須磨区千歳町1の秀光さんの両親宅を訪れ、志半ばで逝った友を悼み、思い出を語り合った。(上田勇紀)

 秀光さんは高校卒業後、東京の朝鮮大学校に入学。英語を学び、将来は同校で教えることを夢見ていた。成人式に出席するため神戸に帰省中、激震でつぶれた自宅の下敷きになって亡くなった。

 46人のクラスで班長を務め、学校行事では常にリーダー役。同級生はクラスの機関誌に彼の名前をつけ、震災半年後に発行した第1号には「46人一緒」とハングルで書いた。

 その絆は途絶えていない。同級生は震災翌年の1996年、2005年の1月にも両親宅を訪れ、遺影に手を合わせた。「10年に1度は集まろう」。今回も自然に声が上がり、東北や関東、九州からも駆け付けた。

 自宅では、秀光さんの父敏夫さん(72)、母福子さん(63)が自家製のイカのキムチや春雨、蒸し豚を用意して出迎えた。一同は黙とうし、遺影に線香を上げた後、食卓へ。20人は飲食業や会社員、主婦とそれぞれの道を歩む。うち4人は子どもを連れて参加。大学時代のアルバムをめくるたび、にぎやかな声が響いた。

 秀光さんと寮の同室で親友だった李英哲さん(39)=東京都=は朝鮮大学校の准教授になった。「親分肌だけど繊細で、シャイで。男気も、不器用なところもあって。本当に何でも話せた。忘れることはできない」。思い出を語り始めると止まらない。「自分たちが初心に戻る場所。彼の分まで一生懸命に生きていきたい」

 台所から様子を見守った福子さんは「いつまでも忘れずにいてくれる。本当に、本当にありがたい」。つらいから見ないようにしているアルバムにも目を通した。「それでも、秀光が元気でおったら…と思うと悔しくて。今も東京で頑張っていると思うようにしているの」と涙ぐんだ。

 また、来ます-。記念撮影をし、同級生は再会を誓った。

2014/1/12
 

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