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真剣な表情で原稿用紙に向き合う米津凜君(右)。父の勝之さんが見守る=芦屋市浜芦屋町
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真剣な表情で原稿用紙に向き合う米津凜君(右)。父の勝之さんが見守る=芦屋市浜芦屋町

 阪神・淡路大震災で兄と姉を亡くした芦屋市立精道小6年の米津凜君(11)が17日、同小の追悼式典で遺族代表として作文を読む。震災後に生まれたが、2人の存在はいつも意識している。「当たり前がかけがえのないもの」という両親の言葉も理解できるようになった。震災から19年、生きることの大切さをメッセージに込める。

(斉藤絵美)

 米津勝之さん(53)一家4人が暮らしていた芦屋市津知町の文化住宅は震災で全壊。同小1年の長男漢之(くにゆき)君=当時(7)=と、長女深理(みり)ちゃん=当時(5)=が亡くなった。震災から2年後、次女の英(はんな)さん(16)が誕生し、その5年後に凜君が生まれた。

 会ったことがないきょうだいを、2人は「くにゆき」「みり」と呼ぶ。走るのが得意な凜君は「くにゆきは速かった?」と兄と比べては両親に尋ねる。書道で賞をもらった時、字がきれいだった漢之君を引き合いに出し、「お兄ちゃんを超えたな」と褒めると喜んだ。

 勝之さんの仕事で県外を転々とし、3年前に再び芦屋へ。凜君は兄が使っていたランドセルを背負い、同じ学校に通う。しかし、兄と姉の年齢を超え、写真でしか見たことのない2人を想像するのは難しくなっていった。

 昨年末の震災学習で、漢之君の担任だった教諭から話を聞く機会があった。休み時間は外で元気に遊んでいたこと、引っ込み思案だったこと-。「僕と共通点がたくさんあるんだな」と実感できた。

 下級生たちに学習の成果を伝える「語り継ぐ会」では、「僕のお父さんがよく言っている『命を受け継ぐ』ということは少し難しいですが、分かってほしい。生きていることは今は当たり前のことですが、どう生きるかを考えてほしい」と発表した。その姿を見守った勝之さんは「『遺族』という宿命を受け止める力がついてきたのかな」と目を細めた。

 追悼式典での作文は現在執筆中。原稿用紙3、4枚になりそうだ。「何を伝えるか、まだまとまっていないけど、元気にしっかりと読みたい」。兄譲りのはにかんだ笑顔を見せた。

2014/1/15
 

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