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中野南公園で使っていた炊き出し資材の前で、当時を振り返る菊谷賢一さん=京都市内
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中野南公園で使っていた炊き出し資材の前で、当時を振り返る菊谷賢一さん=京都市内

 阪神・淡路大震災直後から神戸市東灘区の公園で被災者と生活を共にし、約1年間にわたり炊き出しに汗を流した京都市の男性がいる。その後も住民との交流は続き、公園で開かれる追悼行事には毎年参加。「自分に被害はなかったが、震災後の日々は共有してきたつもり」。今年も16日にテントや机をトラックに積み込み、現地入りする。(黒川裕生)

 京都市中京区で祝儀用品などの卸売業を営む菊谷賢一さん(67)。19年前、自宅で突き上げるような揺れを感じた。テレビで見た被災地の惨状にいてもたってもいられなくなり、1月末、ありったけの食材とプロパンガスや鍋など炊き出し資材一式を携え、仲間3人と神戸市内に入った。

 京都では少年補導委員を務め、行事などで数百人分の炊き出しをした経験があった。だが被災地では「ガスが引火したらどうする」「数百人分では足りない」などと断られ、たどり着いたのが約120人がテント生活を送る中野南公園(東灘区本山南町7)だった。

 まだボランティアもおらず、真っ暗で静まり返ったテント村。ところが住民は「来てもらわんでええ」と取り付く島もない。「帰ってくれと言われるまでいる」と菊谷さんは粘り、テントを張った。

 翌朝から毎日3食、豚汁やカレー、おでんなど熱々の料理を振る舞った。「あったかいもん初めて食べた」と涙をぽろぽろと流す老夫婦。自衛隊が風呂を設けたと聞けば、仮設の風呂を建てた。小学生を信州の登山に招待したこともある。

 3月ごろからは京都と神戸を行き来したが、公園を拠点にした生活は、テントが撤収されるまでの約1年間続いた。

 毎年1月17日、公園には懐かしい顔が集まる。「こんばんは」「久しぶり」-。前日から会場を設営する菊谷さんのテントは、夜通し来客が途絶えることがない。「同窓会みたいなもん。死ぬまで続けますよ」。今年も被災地に、あの日が巡る。

2014/1/16
 

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