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母の写真と、焼け跡から見つかった腕時計と小銭、器。「今も夢を見ているよう」と話す佐藤悦子さん=加古川市内(撮影・斎藤雅志)
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母の写真と、焼け跡から見つかった腕時計と小銭、器。「今も夢を見ているよう」と話す佐藤悦子さん=加古川市内(撮影・斎藤雅志)

母の写真と、焼け跡から見つかった腕時計と小銭、器。「今も夢を見ているよう」と話す佐藤悦子さん=加古川市内(撮影・斎藤雅志)

母の写真と、焼け跡から見つかった腕時計と小銭、器。「今も夢を見ているよう」と話す佐藤悦子さん=加古川市内(撮影・斎藤雅志)

 兵庫県加古川市の主婦佐藤悦子さん(50)の母正子さん=当時(65)=は、阪神・淡路大震災で行方不明になった。遺体や遺骨は見つかっていない。あれから19年。「ずっと時間が止まっている」。裁判所に失踪宣告を申し立て、法律上死亡とみなされた後も、悦子さんは「遺族」になりきれない葛藤を抱き続ける。(上田勇紀)

 正子さんは神戸市須磨区大田町の文化住宅で1人暮らしだった。震災の2日前、悦子さんに電話があった。

 「京都に旅行した時のお土産があるから、また取りにおいで」。「うん、また行くね」。それが親子の最後の会話になった。

 激震で文化住宅はつぶれ、炎に包まれた。翌朝駆け込んできた兄の言葉で母の状況を悟る。「おふくろ来てるか? 家ないんやぞ」

 知人のバイクで未明に着いた山陽電鉄板宿駅周辺は真っ暗。夜が明け、自衛隊の捜索が始まった。

 住宅の焼け跡から男性の遺体が出てきた。正子さんの姿はない。見つかったのは、針が焼け付いた腕時計。外出時、正子さんがいつも着けていた。

 避難所を回った。ボランティアの協力を得て、写真と特徴を記したビラをまいた。「垂水の海岸で似た人を見た」「須磨駅近くのパン屋さんにいた」…。曖昧な情報を頼りに駆けつけ、見知らぬ人に尋ねて回った。

 見つからぬまま、震災から半年後、親戚の勧めで葬儀をした。骨つぼには焼け跡のがれき。跡地には新しい建物ができた。翌年には裁判所に失踪宣告を申し立てた。でも気持ちは変わらなかった。

 「骨片でもいい。出てきてくれたら踏ん切りがつく。けれど何もない。マジックを掛けられたみたいに」

 時々、あの腕時計を取り出して、なでる。「やっぱりいないんだ」と思う。なぜ? 何年たっても、胸のつかえが消えることはない。

 逃げる途中で被災したのか。記憶喪失になり老人ホームにいるのか。仮説を立て、調べても分からない。諦めているはずなのに、テレビで震災当時の映像が流れると、必死で捜す癖がついた。

 次女の結婚式。正子さんの写真をかばんにしのばせた。初孫は5歳になった。正子さんにとってはひ孫。抱かせてあげたかった。

 東日本大震災では、津波により大勢の人が行方不明だ。「一人でも多く、遺体を見つけてあげて」と願う。

 今年も17日午前5時46分、神戸・東遊園地を訪れる。正子さんの写真を胸に抱いて。どこにいるの? そう問いかけながら。

 【災害による行方不明者】総務省消防庁は「災害が原因で所在不明となり、かつ死亡の疑いのあるもの」と定義。遺体が見つからず、裁判所で失踪宣告された場合も含まれる。同庁が2006年に発表した阪神・淡路大震災の確定報は死者6434人、行方不明者は佐藤正子さんを含め3人(神戸市2人、西宮市1人)。東日本大震災は死者1万5884人、行方不明者2640人(警察庁調べ、1月10日現在)。

2014/1/16

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