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震災で大きな被害が出た西宮市千歳町=1995年1月(沢田隆さん提供)
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震災で大きな被害が出た西宮市千歳町=1995年1月(沢田隆さん提供)
仮に張られた母の名前を見つめる宮崎久子さん(左)と孫の和史さん=19日午前、西宮市千歳町、千歳児童遊園(撮影・笠原次郎)
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仮に張られた母の名前を見つめる宮崎久子さん(左)と孫の和史さん=19日午前、西宮市千歳町、千歳児童遊園(撮影・笠原次郎)
西宮千歳町
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西宮千歳町

 阪神・淡路大震災で13人が亡くなった兵庫県西宮市千歳町で19日、震災を伝えるプレートが公園に設置された。同町では震災後、半数以上の住民が入れ替わり、記憶の風化が進む。危機感を抱いた自治会が発案した、震災19年を経て初のモニュメント。お披露目の場には遠方の遺族も顔を見せ、「ここで生きた証しができた」と思いをかみしめた。(田中真治)

 夙川東岸にある千歳町。戦災を免れた古い日本家屋が多かったため、約200世帯の大半が全半壊した。

 「それぞれ生活再建に追われ、これまで何もできなかった」と自治会長の東野(ひがしの)則子さん(65)。その間、マンションが増え、地域が受けた被害を知らない人が増えた。20年の節目を前に、町内で語り継ぎ、花を供えられる場所を作ろうと決めた。

 町外や避難所で亡くなった千歳町の住民2人を加えた犠牲者15人の遺族に連絡を取り、この日は9人が公園に駆け付けた。

 永井弘子さん(70)=大阪府枚方市=は、誕生日を4日前に祝ったばかりだった長女ちとせさん=当時(25)=を失った。ちとせさんは職場の新年会で深夜に帰宅し、自宅1階で寝ていて下敷きになった。

 「うめき声しか聞こえず、だめかもしれないと思いながら、助けを待った。寝ているような、きれいな死に顔だった」と弘子さん。

 郵便局に勤めていたちとせさん。地域に顔が広く、雨の日にはお年寄りを車に乗せてあげることもあった。そんな人柄が慕われ、今でも花が贈られる。「人とのつながりが何より大事だと、娘に教わった。これでまた、千歳町が近くなる」

 宮崎久子さん(79)=西宮市豊楽町=は母やすのさん=当時(86)=の遺影を手に、「顔なじみの方に迎えられ、母も喜んでいるはず」とほほ笑んだ。

 被災の実態を記したプレートには今後、亡くなった15人の名前が刻まれる予定。近くにはこの日、桜が植えられ、東野さんたちは「お花見で集まりたい」と夢を描いている。

2014/1/20
 

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