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亡き息子にささげるため、寒菊を育てる北さん夫婦=神戸市北区(撮影・笠原次郎)
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亡き息子にささげるため、寒菊を育てる北さん夫婦=神戸市北区(撮影・笠原次郎)

 阪神・淡路大震災で長男=当時(26)=を亡くした神戸市北区の北哲さん(77)夫婦の自宅庭に、今年も寒菊が咲いた。結婚を控え幸せ絶頂だった息子に、友人たちが手向けてくれた思い出の花。悔やみ嘆いては「もう泣かない」と決心する、行ったり来たりの19年だった。17日、息子の名が刻まれた西宮市の慰霊碑にこの花をささげる。(斉藤絵美)

 西宮・夙川近くにあった自宅は全壊。はりが落ち、2階で寝ていた長男の顕(あきら)さんだけが亡くなった。息を吐き出すような最期の声は、哲さんの耳から離れない。

 哲さんの仕事の関係で幼いころは転校が多かったが、顕さんはすぐに新しい友達を見つけた。3人きょうだいの一番上で、責任感が強くきまじめな性格。大学のサークルでも代表に選ばれ、夜遅くまで電話で話し込んでいた。

 震災の前年、付き合っていた女性と結婚するため静岡から実家に戻り、大阪の会社に転職した。結納を交わし、震災前夜には結婚式場から招待状が完成した、と連絡があった。

 遺体を安置した体育館には、その日のうちに高校の同級生5人が駆けつけてくれた。夙川の河原で摘んだ白や赤の寒菊を、腕いっぱいに抱えて。「息子のために探してくれた気持ちがうれしくて」と妻の敦子さん(71)。

 2002年に神戸市北区で自宅を再建し、庭で寒菊を育て始めた。年末に咲く花を見ると、息子への思いがよみがえる。

 同じ年頃の男性を見ると「生きていればあれぐらい」と思ってしまう。「いつまでもウジウジしていたらあかん」。敦子さんは手をかけるだけ育つ菊に勇気をもらいながら、自身を励ましてきた。

 夫婦とも泣くことはなくなった。でも、一人で晩酌する哲さんの姿は「お酒で気持ちをごまかし続けている」と敦子さんには映る。

 一昨年末、哲さんが体調を壊したのを機に、しまったままにしていた手編みのセーターを出した。婚約者から顕さんへの贈り物。初めて袖を通すと、哲さんには少し大きくて温かかった。

 17日朝にはそのセーターを着て、西宮震災記念碑公園に向かう。年1回の息子との再会。今年も「頑張るで」とだけ伝えるつもりだ。

2014/1/17
 

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