闘病中もたくさんの思い出を積み重ねた
闘病中もたくさんの思い出を積み重ねた

「初めて会った時は臍の緒も取れていない赤ちゃんだったのに、いつの間にか私の年齢を追い越し、人生の節目や泣き笑いした日々をそばで支えてくれました。ちろりは永遠に私の相棒です」

ちぃさん(@JQLURAxBGa76804)は亡き愛猫ちろりちゃんとの日々を、そう語る。ちろりちゃんは14歳の頃、希少ガン「血管肉腫」になった。

飼い主さんは、ちろりちゃんの命を通して、情報が少なく、寛解さえも許されないことが多い「血管肉腫」の恐ろしさを痛感したという。

■預かり猫がいなくなった寂しさから「猫を迎えよう」と決意

2010年、飼い主さんは知人宅の猫を預かることになった。預かり期間は、7カ月。知人宅へ猫を帰した後に募ったのは、やり場のない寂しさだった。

そこで、パートナーと話し合い、猫と暮らすことを決意。近所のブリーダー宅へ行き、数週間後に生まれる予定のマンチカンを迎え入れることにした。

愛猫となったちろりちゃんは他の子よりもひと回り小さく、母猫が授乳をする時にはひとりだけ出遅れていたそう。

「そんな不器用そうなところが愛おしくて、家族になってもらいました」

ちろりちゃんは好奇心旺盛で、意思の強い猫に成長した。ご飯やおやつは決まったものしか口にせず、朝5時には“ふみふみ大会”の開催が日課に。目を細めて爪を立てながら、眠る飼い主さんのお腹や胸、首、ほっぺたを思う存分、ふみふみした。

「痛いけど、『やめて』が言えず、されるがままでした。首をふみふみされると息ができませんでした(笑)」

■気分屋で甘えん坊な“猛獣猫”を深く愛した日々

ちろりちゃんは、家族のストーキングも日課にしていた。だが、気が向かない時に構われるとツンツンした態度に。

「歩いている時、ちろりのお尻に触ったら『今じゃないよね?』みたいな感じで足を止めて、手に噛みつかれました(笑)」

どうして、噛みつくの…?そう思い、飼い主さんは再びお尻を触ると、ちろりちゃんは再びガブリ。触れた後に飼い主さんが逃げると、追いかけてきて足に噛みつくこともあったそうだ。

「私もしつこい女ですが、ちろりも結構な猛獣だと、よく思っていました(笑)。飼い主に似るとは、よく言ったものですよね」

そんな2人が築いた絆の深さが伺えるエピソードがある。それは、飼い主さんが緊急入院した時のこと。10日後に退院した飼い主さんは、小さな声で「ただいま」と帰宅の報告をした。すると、ちろりちゃんはしばらく経った後、飼い主さんの部屋付近から「なぁぉなぁーお、なぁぉぉ」と鳴きながら、お出迎えしてくれたそう。

「甘えや寂しさ、怒りなど様々な感情が混ざっているような声でした。あんな声を聞いたのは、後にも先にもこの時だけ。胸がいっぱいになり、玄関先で泣きました」

■「横隔膜ヘルニア」を乗り越えた後に見つかった“原因不明の腫瘤”

ちろりちゃんは13歳になった2023年1月、「横隔膜ヘルニア」と診断された。呼吸がおかしいと感じ、かかりつけ医を受診したところ、大学病院を紹介されたという。

横隔膜ヘルニアとは、胸とお腹を隔てる横隔膜に穴や亀裂ができ、肝臓や腸などの臓器が胸腔内に入り込む病気だ。ちろりちゃんは大学病院で手術を受け、一命を取り留めることができた。

術後は1週間ほどの入院が必要と言われていたが、緊張状態で眠れず、ご飯やお水を口にできないちろりちゃんのメンタルを考慮し、4日ほどで退院。

その後は、肝臓の組織に水が溜まる「肝嚢胞」は見られたものの、特に異常はなく、定期健診をしながら良好な状態を保てていた。

ところが、1年ほど経った2024年3月、飼い主さんは愛猫のお腹が膨らんでいることに気づく。

定期健診の日を前倒ししてもらい、かかりつけの大学病院で検査を行ったところ、膀胱に腫瘤(※組織や臓器にできた異常なできもの)があることが判明。

針生検(※病変部の組織の一部を採取して調べる検査)、腹水検査なども受けたが、原因が分からなかったため、2024年4月2日に腫瘤と肝嚢胞の切除手術を受けた。

その後、病理検査により、腫瘤は「血管肉腫」という悪性腫瘍であったことが判明する。

■愛猫の腫瘤は希少な悪性腫瘍「血管肉腫」だった

血管肉腫は、血管の内側にある細胞から発生する希少なガンだ。特に猫の発症は稀。原因や治療法、予後は分かっていないことが多い。

「横隔膜ヘルニアの術後から定期健診時には肝嚢胞を中心に、全身をチェックしてもらっていたのに、腫瘤はできてしまいました。異変に気がついた時には遅いというのが、血管肉腫の怖さだと思います」

診断後は転移がないかを調べた上で、今後の治療法を考えることに。飼い主さんは、3週間に1回の抗がん剤治療を5回繰り返すことにした。

「その治療法を選んだのは、獣医師から前例を聞いたからです。前例の子は300日ほどで再発したけれど、420日ぐらいは生きられたそうです」

担当医は常に今の状態を客観視できるよう、診察時には目で見て分かる記録もくれた。そうした飼い主目線の気遣いは、心に深く染みたという。

■14歳の誕生日を迎えた直後に“大地震”が起きて容体が急変

どうか、ちろりがそばにいてくれるこの時間が長く続きますように。闘病中、飼い主さんは何度もそう願った。自然と増えたのは、「合言葉は?…元気になって長生きすることだ!』という声かけ。

「自分に言い聞かせてもいたんでしょうね。別れの日が頭によぎると、心が激しく痛むこともありましたが、それは私自身の問題で二の次だと思い、ちろりがいてくれる“今”に、とにかく感謝していました」

抗がん剤治療により、ちろりちゃんは体調を持ち直し、2024年6月8日に14歳の誕生日を迎えることができた。その時、担当医は「次は、15才のお誕生日を目指しましょうね!」と言ってくれたそう。

奇跡を信じたい自分たちの気持ちに寄り添い、未来を見られる言葉をかけてくれた担当医の優しさがありがたかった。

だが、2カ月後の8月8日、最大震度6弱を記録した日向灘地震(ひゅうがなだじしん)が起き、ちろりちゃんの容体は急変する。

「その日は通院日でした。体重が少し増えていたので喜んで帰宅しましたが、夕方に大地震が来ました。遊んでいたちろりは、走って逃げ、その後は普通でしたが、翌日、呼吸が荒くなってしまって…」

かかりつけの大学病院は休診だったが、一縷の望みをかけて電話。すると、担当医が出てくれ、診察してもらえることに。なんとか病院には連れていけたが、ちろりちゃんの呼吸は荒いまま。

「先生から受けた説明は正直、覚えていません。唯一、覚えているのは助手の先生が一生懸命、ちろりを撫でてくれていたことと、担当医から『家に帰られますか?それともここで…』と聞かれたことです」

別れの時が来た。そう悟った飼い主さんは、ちろりちゃんを連れて帰ることにした。だが、病院を出て車に乗り込んだ途端、ちろりちゃんは急変。体を反り、鳴いた。

「だから、キャリーケースからすぐに出して抱き、名前を呼びました。ちろりは14才2カ月と1日を生き、私の腕の中で息を引き取りました」

■ペットロス後に受けた「前向きな励まし」で心境に変化が…

ちろりちゃんが亡くなった後、悲しみに暮れる飼い主さんの心に響いたのはファンタジー要素もある、前向きな励ましだった。

「今、ちろりちゃんは天国の神様のところで次のおうちに行く手続きにしていて、『また同じおうちに帰りたいです!』って言ってるはず。でも、地震で旅立った子が多いから、手続きが長引くかも知れない。だから、その間に他の子たちの話も聞きながら、列の前後にいるお友達に、パパとママの自慢話をしてるんだよ。手続き、早くできたらいいね」

そんな温かい言葉が心に効き、俯いていた顔が少し上がるように。生まれ変わりの手続き中なら、にっこり笑って「おかえり、頑張ったね!」と迎えられるようにしなきゃ。そう思い、今までとは違った角度から“愛猫の死”という現実を捉えることができるようになっていった。

ちろりは人生に大きな彩りを与えてくれた、唯一無二のお宝--。そんな深い愛を抱えながら、飼い主さんはこれからも、ちろりちゃんを愛し続けていく。肉体が離れ離れになっても切り離せない絆が、愛猫と飼い主の間にはある。

(愛玩動物飼養管理士・古川 諭香)