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コロナ禍と五輪 馬場馬術・黒木茜選手の選択【1】決断 「東京」断念揺れ続けた心

2022/04/19 05:30

 東京の夜の街に、楕円(だえん)形の国立競技場が浮かび上がった。2021年7月23日午後8時。東京五輪の開会式が始まった。セレモニー終盤には、女子テニスの大坂なおみが聖火台に火をともす。57年ぶり2度目の東京五輪の幕開けだ。

 16年リオデジャネイロ五輪の馬場馬術日本代表、黒木茜(43)=兵庫県加古川市出身=は、赤々と燃える聖火を自宅のテレビで見ていた。「プライベートも何もかも犠牲にして目指した場所なのに、すごく距離を感じた」。黒木は代表選考から漏れたわけではない。自ら地元五輪への挑戦に幕を下ろしていた。

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 時計を約2カ月前の21年5月下旬に戻す。黒木は、オーストリアで開かれた馬場馬術の国際大会に出場していた。国際大会は5段階に格付けされ、参加できる選手の技量が異なる。この時黒木が出たのは、上から2番目の大会。各国のライバルとしのぎを削り、初日は6位に入った。翌日は自己ベストを記録し、4位に食い込んだ。

 人間と馬が一緒に臨む競技で、黒木も、パートナーで17歳の牡馬「ズィンダーウインド」も調子は悪くなかった。しかし大会から1週間後、相棒と納まった写真を写真投稿アプリ「インスタグラム」に投稿。そこには、「今週ベルギーで開催される東京五輪代表選考会に出場しないことを決断しました」という言葉が添えられていた。事実上の五輪断念宣言だった。

 東京五輪の馬場馬術の出場枠は、開催国のため三つあった。21年4~6月が選考期間で、海外の大会と日本馬術連盟主催の選考会の3試合の平均成績で争った。勝負の世界に「たられば」は禁物。だが選考期間中の黒木の成績は、最終的に選出された3選手と比べて、決して見劣りするものではなかったという。

 黒木はインスタで公表する前に、挑戦をやめる意向をドイツ人の男性トレーナーに伝えた。彼は驚きのあまり、黒木をこう説得したという。「なぜ東京(五輪)に行かない。意味が分からない。俺を東京に連れて行ってくれ」

 五輪はアスリート最大の目標で、さらに出身国での開催となれば、喉から手が出るほど出場権が欲しかったはずだ。黒木は一体、何を思ったのだろうか。

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 昨年7月上旬に練習拠点があるドイツから帰国し、隔離期間が明けた黒木を取材した。選考会への出場を見送ったことについて、「迷ったけど、『五輪がコロナを拡大させる』という疑問が消えないままでは、出場は考えられなかった」と語った。

 コロナ禍での五輪は、世論を二分した。中止を求めた人が約6割とする世論調査もあった。観客の有無は開幕直前まで二転三転し、開催都市の東京都にはその時、4度目の緊急事態宣言が発出されていた。国民として、アスリートとして、その心は揺れた。

 しかし結論を出した後、取材に対して黒木は敢然と言い切った。「後悔はしていない」

=敬称略=

(千葉翔大)

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 新型コロナ下での東京五輪が閉幕して8カ月。さまざまな思いや葛藤と向き合いながら東京五輪を目指したが、最後は自身の信念を貫き、五輪を断念した加古川市出身の黒木茜さんの歩みをたどる。

■くろき・あかね 1978年、兵庫県加古川市尾上町出身。浜の宮小、浜の宮中、東播磨高校を経て、医療専門学校生だった20歳の頃、馬術と出合う。放射線技師として勤めながら馬術を続け、25歳で競技の道へ。2012年の全日本馬場馬術大会の5位入賞後、練習拠点を欧州に移す。16年のリオデジャネイロ五輪に出場。18年のジャカルタ・アジア大会では、団体で金メダルを獲得した。介護施設を運営する会社の経営者でもある。

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