第2次大戦中、兵庫県加古川市尾上町周辺にあった旧陸軍加古川飛行場を紹介する尾上公民館(同市尾上町池田)の常設展示が22日から、展示品をほぼ入れ替えるなど大幅に刷新される。新展示では、飛行兵を養成し、特攻隊の中継基地としても使われた歴史などを、当時の写真を交えてパネル(縦約120センチ、横約80センチ)10枚で説明。特攻隊員の辞世の句の複製品など約30点も並べ、若者が命を落とした戦争の実態を伝える。(斉藤正志)
加古川飛行場は、日中戦争が始まって間もない1937(昭和12)年12月、関西の防空を担う飛行場として造られた。
同飛行場で編成された部隊が南方戦線で戦闘を繰り広げ、44(同19)年からは、同飛行場を中継して特攻機がフィリピンに向かった。45(同20)年には、沖縄海域の戦いに特攻作戦が採用され、同飛行場で編成された部隊も鹿児島県の知覧から出撃した。
常設展示は、戦史研究家の上谷昭夫さん(83)=兵庫県高砂市=の資料を基に、昨年度から同公民館が始めた。戦争の実相を広く発信するため今回、加古川市が内容を充実させる大幅リニューアルを決め、上谷さんや特攻隊員の関連品を保管する鶴林寺(加古川市加古川町北在家)などの協力を受けた。
10枚のパネルでは、同飛行場の建設決定後に33戸の民家が立ち退き、2カ月足らずで買収がほぼ完了したことなど、完成までの経緯を紹介。若者の操縦を訓練する「教育飛行隊」も編成されたが、大戦末期には教官自身が戦隊に配属されるなど、十分な教育ができなかったことも解説している。
同市加古川町寺家町にあった「中村家旅館」は、旧陸軍指定の宿泊施設として、特攻隊員らが利用。「大君の御楯(みたて)となりて南海に 笑って散らん 特攻魂」と記した辞世の句や、「断」と血でしたためた書など、隊員たちが同旅館に残した品の複製品もそろえた。
上谷さんは「国を思う純粋な若者たちが、特攻で命を落とした。当時を伝える遺跡もほとんど残っておらず、飛行場があったことを知らない人も多い。一人でも多くの人に知ってほしい」と話した。
入場無料。午前9時~午後9時(日、月曜は同5時まで)。祝日休み。尾上公民館TEL079・423・2900
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