「生きヘタ?」ニュース
■難聴の生きづらさについて、関学大の松岡克尚教授に聞きました
11月のテーマは、難聴の悩みです。関西学院大人間福祉学部の教授で、自身も難聴で補聴器を使っている松岡克尚さん(60)は、聞こえにくい人のしんどさについて「自分のところに情報が十分に伝わってこないので、孤立感を抱く」と説明します。どうすればいいのでしょう?
-自身の難聴について。
「幼稚園の頃は、補聴器を付けていなかったので、みんなの声が『ぼそぼそ』しか聞こえませんでしたが、それが当たり前だと思っていました。小学校低学年で、初めて補聴器を着けました。世界は『ぼそぼそ』だと思っていたら、びっくり。車のプップーやブレーキの音、げたの音…。遠くの音が聞こえ、こんなに音があふれてるんだ、と驚きでした。私は昔も今も、アナログ補聴器を着けています。デジタル補聴器も試しましたが、私には違和感があった。とにかく、聞こえ方は一人一人違います」
-生きづらさは。
「聴覚障害はコミュニケーションの面で困難を抱えます。そして、相手がどんな配慮をしてくれるかに左右されます。知ってほしいのは、最適なコミュニケーション方法は人それぞれということ。『聞こえない』というと、手話ができると思われがちですが、そうではありません。手話をされると困る人もいます。ゆっくりと大きな声で話してもらえば、理解できる人もいる。最近は、人工知能(AI)が音声を認識し文字に変換するスマートフォンのアプリ『UDトーク』を使ったり、スマホのメモを筆談代わりに使ったりもします。私は会議の時は、UDトークなど複数の機器を使って参加しています」
「私は飲み会が苦手です。最初はメモをとったり、見せたりしてくれるけど、みんな酔っぱらってくると、ほったらかしにされている感じで孤独です。みんながワイワイしているのに、私は分からず、ぽつーん。耐えられず、もう行かないでおこう、となります。とにかく、聴覚障害があると、情報が自分に十分に伝わってこないので、孤立感を抱くのは常にあります」
-生きづらさを減らすには。
「孤立感を、聞こえる人に分かってほしいと言っても、それはなかなか難しいと思います。置かれている状況も、これまでの経験も違う。そうであれば、聞こえないことを『文化』と捉え、尊重するという考え方はどうでしょうか」
「例えば、ろうの人は手話を使う文化で、音声言語とは違いがあります。私が補聴器と一体で生活していることも一つの文化です。文化が違うと、もめたり、対立したりすることもある。でもそれは悪いことではないんじゃないか。文化間の摩擦であって、分かり合うきっかけになるかもしれない。関わらんとこう、こそが良くないと思います」
「世の中には聞こえない人がたくさんいます。高齢になれば、耳の聞こえが悪くなる人は少なくありません。人ごとではないと、意識するかどうかでも違います。大切なのは想像力。障害だけでなく、国籍やLGBTなど、多様性の社会の中で、関わりながら、お互いを尊重できればいいなと思います」(聞き手・中島摩子)