珍スポット、マニアの間で有名な1億円の墓の凱旋門ゲート
珍スポット、マニアの間で有名な1億円の墓の凱旋門ゲート

プロ野球キャンプで活気に沸く沖縄、本島から南西へ509キロ、台湾までわずか111キロの距離に位置する国境の島・与那国島は、全く別の空気を纏っていた 。プロ野球取材一筋の「アラ還」記者が初上陸したその島は、南国のイメージを覆す烈風と、神秘的な神事「マチリ」が息づく場所だった。地図の端っこに生きる人々の「ホンネ」と「平和への願い」を綴る。

“国境フェチ”の筆者が与那国島に来たもう一つの理由は、今流行のデジタルデトックスに挑戦すること。別にスマホ依存症ではない。パソコンなどのデジタル機器と距離を置き、情報過多の喧噪社会から一時、退散できる“チルな島”を期待してやってきたのだが、結局は知りたいことばかりで早々に取りやめた。

お世話になった宿はもちろん、島内の観光スポットの各所にまでフリーWi-Fi(公衆無線LAN)が設置。与那国島がお隣の国・台湾と「密貿易」で大儲けした歴史があると知ったのも、恥ずかしながら…ネット情報だった。

■台湾との密貿易で栄えた昭和秘史

戦前、与那国島は東洋一といわれた鰹節工場がある島として発展。台湾が日本の統治下となると互いに人の往来も日常化し、戦後も敗戦で本土が食糧不足に悩まされる中、与那国島最西部の久部良漁港は台湾住民との間で自然発生的に豊富な砂糖、米など密取引の一大拠点になっていったという。

与那国町島観光協会で事務局長代理を務める小嶺長典さんは「小さい頃に何度も“景気時代”という言葉を耳にしたぐらい、島は人、物資、お金が集まり、相当賑やかだったと。日本人、沖縄人と島外はもちろん、台湾人も与那国島に多く住み、諸説はありますが、人口も交易が本格化するにつれ、1万5000人にまで膨れ上がったそうです」と話す。

まさにゴールドラッシュ。久部良漁港周辺の集落は明かりが消えることなく現物バーター、台湾、日本の札束が飛び交う“不夜城”と化し、港には海賊船が乱入するなど、暴力、窃盗事件など犯罪も発生したという。誰もが生きていくのに必死な時代だったが、小嶺さんから聞いた「島の鶏はぜいたくすることを覚えて、庭先に落ちている米粒をついばまなくなった」の逸話には大笑いさせてもらった。

■立派な凱旋門!奥にはピラミッド?

敗戦直後の動乱期を過ぎた1952年頃には「密貿易」も終焉を迎える。戦勝国・米国による取り締まり等で国境線が画定(かくてい)すると交易が一気に衰退。人も去って行ったという。

つわものどもが夢の跡…というこの手の話は大好きで、当時を偲ばせる場所や記念碑等を探したのだが、すでに区画整備もされて何も見当たらない。が、巨大すぎる墓が別の場所で強者の証として残されていた。

沖縄独特の亀甲墓が集まる島北部の浦野墓地群の近くに凱旋門付き&ピラミッド型の巨大墓を発見。すでに珍スポットマニアの間では有名らしく、敷地面積は1500坪で「1億円かけて作った墓」などとSNSで紹介されている。再び登場の50代インテリジェンスによると「地元の有力海運会社の初代社長さんのお墓。密貿易で相当財をなした人物で管理は元町長がやっている」との情報が…。このやりすぎるほどの豪華さは確かに当時の栄華を偲ばせるには十分だった。

■島内きっての陽気な名士

今回の旅では魅力たっぷりの人物にも出会えた。日本最西端の寺である「心照寺」の住職、小嶺照榮さん。今年で御年81歳になる。与那国島生まれながら奈良県・金峯山寺で修行。日本でも極めて少ない大阿闍梨になった、ドえらいお坊様でもある。2015年に故郷の与那国島に戻り「この島に正しい仏の教えを伝えたい」と寺院を建立。与那国島の洞窟で「飲まず・食べず・寝ず・横にならず」の四無行の修行も行った、島内きっての陽気な名士だ。

筆者とはすぐに意気投合。LINEまで交換した。せっかくなので年齢的な悩み事も相談したが「楽をしたらアカン。しっかり働いたら人生は豊かになる」と一蹴。筆者の背中に大きなホラ貝を当てブオー!と吹くと「もう大丈夫。精進せえよ」と有り難い喝を頂いた。御朱印も無料でパパパパッと書いてもらった。

そんな大阿闍梨に与那国島の未来を聞くと「案じてばかりせずに、基地があるから今、平和で安全でいられるという考えも必要。彼らと仲良く落ち着いてどう暮らしていくのか、を考える。自衛隊がいるからすぐ戦争に結びつけてはいけない」と答えてもらった。

■出会った島の人たちに心から感謝

島には沖縄本島だけでなく、本土からの移住者も多い。親しくなった移住者の一人は筆者の取材に「本土で結婚した同じ移住者の夫と2人で暮らしてますが、今が一番幸せを感じてます。小さい島だけに何をするにも時間や手間が掛からない。お互い仕事先も空港行くのもすぐなので、自分たちの時間が持てるんです」と島生活の良い点を語った。

困る点には「野菜など食物が島値段で高いこと。島には不動産屋が一件もないから移住者は家を探すのがツテに頼らざるを得ないということ」だとか。それでも「島にやってきた動植物の先生や研究者から『ここはすごい自然が残っている。鳥類、昆虫類と他ではもういなくなった生物がしっかりと生きているから素晴らしい』と言われてうれしい」と話した。

旅も終盤に入ったある日の夜、その旦那さんの車に乗せてもらい、宿まで手厚く送ってもらったのだが、後部座席から見た2人の後ろ姿に最果ての島に生きる覚悟を感じ、柄にもなくウルッとしてしまった。

10日間の旅の最終日。チェックアウトした後、宿の女将に「また来ますね。と、いってもなかなか来れないかもですが…」というと「何を言ってるんですか。来れなくても“また来ます”といってもらえるだけで、島にいる私たちは本当にうれしいんです」と返された。振り返れば頼みのインテリジェンスも含め、誰もが心やさしい人ばかり。こんな素晴らしい与那国島を悲しい目に遭わせてはいけない。

(デイリースポーツ・岩崎 正範)