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戦後の政府が生み出した「棄民」

 「棄民」

 中国残留日本人たちの凄絶(せいぜつ)な人生を振り返るとき、そんな言葉が浮かぶ。

 太平洋戦争末期の中国で、日本軍が撤退する中、女性や子どもは置き去りにされた。戦争が終わっても救出されず、「死者」として扱われ、戸籍を抹消された。長らく帰国はかなわず、ようやく祖国に戻った後でさえ、生活が困窮を極めても放置された。

 戦後80年。何度も見捨てられ、それでも生き抜いてきた残留日本人たちは、人生の終章を迎えている。

 日本は1932年、中国東北部に傀儡(かいらい)国家・満州国を建国し、事実上の植民地支配を進めた。36年には国策として「満州農業移民百万戸移住計画」を掲げ、疲弊した日本国内の農村の救済や食糧増産をうたう。

 多くの開拓民は、旧ソ連との国境近くに配され、防衛のための「人の壁」ともされた。全国から約27万人、兵庫から約4400人が渡ったとされる。

 原野を切り拓(ひら)き、冬場は氷点下20度を下回る過酷な地での生活は、喧伝(けんでん)された「理想郷」とはかけ離れていた。敗戦間際には就農で兵役が免除されるはずだった18~45歳の男性も根こそぎ動員され、開拓地には女性や子ども、老人だけが取り残された。