2024年1月の能登半島地震で被災した石川県能登町を拠点に、尼崎市出身の看護師山中弓子さん(57)が、サロンを開いて被災者の体調悪化や孤立を防ぐ活動に力を入れている。31年前の阪神・淡路大震災や熊本地震(16年)での経験を踏まえ、看護の目線を生かした支援を心がける。(田中宏樹)
山中さんは阪神・淡路があった1995年1月当時、尼崎市内の書店で勤務。発生翌日から、神戸市東灘区の小学校の避難所運営をボランティアで手伝った。約1カ月後、応援に入った看護師が高齢者の体を丁寧に拭き、水回りを清掃する姿が印象に残った。
医療事務の仕事をしていた2005年4月、近くで起こった尼崎JR脱線事故を機に看護師を志した。39歳で専門学校に入り、12年から4年間京都市の病院で働いた。
退職後の16年4月に熊本地震が起こり、知人に紹介された助産院や病院の運営を支援。避難所は感染症対策が不十分で、更衣室や個人スペースが確保されていない状況も目にした。「阪神・淡路から課題が同じだ。変えていかないといけない」と痛感した。
能登半島地震では、発生の約3週間後に能登町に入った。町では約50カ所あった避難所を取りまとめる職員が少なく、被災者へ3食とも非常食を提供する場所があるなど環境が整っていなかった。支援団体に依頼し、栄養のある食事を届けてもらうなど改善に取り組んだ。
消防庁によると、同地震による災害関連死は470人。建物倒壊などによる直接死(228人)の約2・1倍(昨年12月25日時点)に上り、今後も増える可能性がある。阪神・淡路から続く課題で、山中さんは「命を守るには看護師が避難所に常駐し、体調管理できるような仕組みが必要だ」と語る。
時間の経過とともに必要な支援は変わる。現在は、能登町や輪島市の公民館などで住民向けのサロンを開き、風邪の予防法や気持ちを和らげるハンドマッサージの方法を伝える。「仮設入居者はこれから地域に戻る。自宅で過ごす住民と気持ちの溝ができないように皆が参加できる場が求められる」と考える。
今後は被災者の心のケアにより力を入れたいといい、「消防士や病院職員らのケアが進んでいない。発生時からの思いを自由に話し合い、気持ちを整理できるワークショップを定期的に開いていきたい」と話した。























