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感染した経験を語る木谷万里・加古川市議会議長=加古川市加古川町北在家
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感染した経験を語る木谷万里・加古川市議会議長=加古川市加古川町北在家

 新型コロナウイルスに感染し、回復して公務に復帰した木谷万里・兵庫県加古川市議会議長(60)が、神戸新聞社の取材に応じた。隔離された入院生活、周囲の目を気にして自宅にこもっていた退院後の日々…。「感染者への偏見が、自分にあったことに気付いた」。当時抱いた不安や葛藤などを話した。

 -11月16日に同じ会派の市議の感染が分かった。

 「16日朝に同僚市議から『PCR検査を受けてくる』と連絡があり、夜に感染が分かった。私は普段からせきをするが、その時もせきの症状があった。普段なら病院に行かない程度。保健所には『(PCR検査の)対象外ですね』と言われたが、電話口でせきが出て鼻声だったので、『調子が悪そうですね』と検査を受けられることになった。その時は、念のためというくらいの気持ちだった」

 「17日午後に自分で車を運転して医療機関に向かい、PCR検査を受けた。結果が分かるまで2時間くらいかかったが、不安で仕方がなかった」

 -陽性だった。

 「衝撃だった。誰もが感染する可能性があるということは私も普段から口にしていたが、実際にかかってみると、その心理的なショックは相当なものだった。自分がコロナに対して恐怖感を持っていたことに気付いた。受け入れるのには時間がかかった」

 「入院して隔離されれば議会の仕事に支障が出てしまうとか、自分が接触した人にどのように説明をすればいいのかとか、いろんな考えが頭の中を渦巻いた。市議会定例会の開会も26日に迫っていた。何もかも、どうしたらいいのか分からなくなった」

 -どのように行動したのか。

 「まず議会事務局に感染したことを伝えた。直前の週末に次女と孫2人が泊まりに来ていたので、次女にも連絡した。接触があった友人や支援者らにも電話した。『感染してしまったらしゃあない。いつでも誰でもかかるんやから』と言ってくれる人がいた。怒られるかもしれないと思っていたので、救われたような気持ちになった」

 「感染はショックだったが、もう諦めるしかない。その日のうちには受け入れていた。パジャマなど入院に必要な物を買いに行こうと車に乗り、『私が行ってはいけない』と気付いて車を降りたこともあった。隣に住む妹にお願いした」

 -家族も感染していた。

 「次女と3歳の孫が感染していたことが分かった。無症状だったので、信じられない思いだった。孫が通っていた園の園児や職員ら希望者全員がPCR検査を受けることができ、陽性者はいなかった。園側の対応が素早く、感染が広がらなかったのは良かった」

 「同僚市議と私の濃厚接触者とされた市議らは、全員陰性だった。安堵した一方で、結局、感染経路が分からなかったことは気にかかった」

 -あらぬうわさもあった。

 「後になって『飲み歩いてたんや』と言われていると聞いた。そんなことしていないのに。悲しいことだった」

 -11月18日に入院した。

 「自分で車を運転して医療機関に向かった。防護服姿の看護師が駐車場まで迎えに来てくれた。荷物をビニール袋に入れてくれ、一緒にエレベーターで病棟まで行った」

 「病室はカーテンで仕切られた4人部屋だった。すぐに心電図と血中酸素濃度を24時間、測る機器を体に付けた」

 -症状は。

 「むせ返るようなせきが出た。特に話す時に出る。医師の診察はタブレット端末を使って遠隔で受けたが、しゃべろうとするとせきが出た」

 「入院翌日からは微熱が出るようになった。朝になると熱は下がっていて、ほっとするが、夜になると体が熱くなってくる。何とも言えない気持ち悪さがあり、嫌な感じだった」

 「夜、眠ると血中酸素濃度が下がり、看護師が来てくれた。私自身は苦しいと感じなかったが、後で『もう少しで酸素吸入が必要だった』と言われた。枕元に酸素吸入用のチューブが備えてあり、それを見ると、症状が悪化すれば死ぬかも、という思いが頭をよぎった」

 -入院中の生活は。

 「ベッドと冷蔵庫とテレビと棚だけの狭い空間で、医師と看護師以外とはしゃべることはない。ベッドに座って過ごしていた。スマートフォンは持ち込んでもよかったので、(無料通信アプリ)LINE(ライン)で院外の人と連絡を取ることはできた。あとは本を読んだり、スマホで音楽を聴いたりしていた」

 -周囲の人の支援があった。

 「新聞で私の感染を知って、励ましの手紙を自宅に送ってくれた人がいた。妹が写真を撮ってスマホに送ってくれた。優しい手紙で、本当にうれしかった」

 「大学時代の友人も『この経験を生かせばいいから大丈夫だよ』など、たくさんのメッセージをくれた。毎日、ラインで様子を聞いてくれる友人もいた。その日の体調を聞いてくれるだけでも、うれしい。すごく励みになった」

 -副議長が濃厚接触者となり、26日の定例会開会日に出席できず、仮議長が選出される異例の事態となった。

 「仮議長の選出は加古川市議会始まって以来ということで、本当にじくじたる思いだった。翌日の新聞に『トップ2不在』と大きく載っているのを見て、責任をより痛感した。誰もが感染する可能性があると思いながらも、どこかに気の緩み、対策の失敗があったのかもしれない」

 -症状は改善した。

 「1週間ほどで体調は良くなり、経過観察になった。でも、自分が何もできないことへの不安は積もった。選挙で選ばれているのに、これでいいんだろうか、私は何をしているんだろうと焦燥感があった」

 -13日間入院し、11月30日に退院した。

 「退院日は午前3時に起きて眠れなかった。帰ったら何をしようかとずっと考えていた。毎日ラインで連絡してくれた友人が、『ちらしずしを届けるよ』と伝えてくれたのがうれしくて、楽しみだった」

 「病院の外に一歩出た時は、開放感に満ちあふれていた。普通の入院なら、院内の売店で買い物もできる場合もあるだろうが、コロナは病棟から出られなかったので。駐車場に止めていた車を運転して自宅に帰り、まずは全部の窓を開けて換気した。入院中、お花の世話をできていないのが気になっていたので、水をやった。それからカーテンなどを洗濯した」

 -周囲の反応は。

 「電話で退院を報告すると、『(感染したことを)気にする人もおる』と言われた。『ちょっと(復帰まで)間をおかなあかんで』『まだウイルスが残っとるかもしれへんから』とも。医者から感染させるリスクはないと伝えられていたが、信じてくれない人もいた」

 「周囲が私の行動を不安に思っていることは感じていた。ごみも出せずにためておいた。誰かがどこかで見ていて、私の話をされているような気がして外出できなかった。新聞や郵便物を取る以外では、家の外に出なかった」

 -復帰したい気持ちは強かった。

 「早く復帰したいという焦りはあったが、周囲を不安にさせてはいけないという思いもあった。私が大丈夫と思っても受け入れられない。コロナに感染したことがあるというだけで、受け入れられない人がいるということを感じていた」

 -退院から1週間後に復帰した。

 「12月8日に加古川市役所であった『まち・ひと・しごと創生総合戦略会議』を傍聴したが、回復したとはいえ、受け入れられないのではないかという怖さがあった」

 「今でもどこかに行くと、歓迎されていないのではないかと思ってしまう。どのような感じで受け止められているのか、と不安を覚える。私が思っているだけかもしれないが、『(感染対策を)失敗した』という烙印を押されているんじゃないかと思ってしまう」

 -感染者になって気付いたことは。

 「私は感染者への偏見を持っていないと思っていたが、実はあったのかもしれない。偏見がないのなら、陽性が分かった時、ショックを受けなかったはずだ」

 「つらい気持ちになったけれど、大事なものが見えた。妹や娘、孫ら家族の絆を感じられた。友人らの励ましの言葉は本当にうれしかった。大変な時に助けてくれる人がいるということが分かった。感謝の気持ちを、コロナに感染して改めて感じることができた。次女とは『いいこともあったよね』という話をしている」

 「半年前に感染した人はもっと大変だったと思う。周囲の対応が心の傷になった人もいるのではないだろうか。その気持ちがより想像できるようになった。『貴重な経験をしたね』と言ってくれる人もいた。感染した経験を、これからの生き方に生かしたい」(聞き手・斉藤正志)

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