東播

  • 印刷
新聞社に入った理由を「世の中を知るため。小説家になるため」と明かした塩田武士氏=兵庫県加古川市加古川町溝之口、加古川プラザホテル
拡大
新聞社に入った理由を「世の中を知るため。小説家になるため」と明かした塩田武士氏=兵庫県加古川市加古川町溝之口、加古川プラザホテル
「小説を書き始めてから新人賞を取るまでに12年かかった」と語る塩田武士氏=兵庫県加古川市加古川町溝之口、加古川プラザホテル
拡大
「小説を書き始めてから新人賞を取るまでに12年かかった」と語る塩田武士氏=兵庫県加古川市加古川町溝之口、加古川プラザホテル
デビュー作「盤上のアルファ」から数えて手掛けた小説は計11作になる
拡大
デビュー作「盤上のアルファ」から数えて手掛けた小説は計11作になる
デビュー作「盤上のアルファ」から数えて手掛けた小説は計11作になる
拡大
デビュー作「盤上のアルファ」から数えて手掛けた小説は計11作になる
出版業界の実情を語る塩田武士氏の講演に聴き入る出席者=兵庫県加古川市加古川町溝之口、加古川プラザホテル
拡大
出版業界の実情を語る塩田武士氏の講演に聴き入る出席者=兵庫県加古川市加古川町溝之口、加古川プラザホテル

 「罪の声」や「騙し絵の牙」で知られる元神戸新聞記者の小説家塩田武士氏(42)が7月、兵庫県加古川市内で講演した。演題は「逆境の出版業界に生きる」。インターネット全盛の時代に出版物が生き残る道はあるのか。新聞にも共通する課題に、デビュー10周年を迎えたエンターテインメント作家は、文章表現の小説に映像などを掛け合わせる「メディアミックス」で挑もうとする。創作の根幹は「愚直に人に会う」。物語を発信し続けようとする思いを語った。(若林幹夫)

■“つかみ”は将棋ネタ

 講演は、加古川市など兵庫県東播地域の経営者や行政関係者が集まる神戸新聞東播懇話会。塩田氏の入社時の上司が現神戸新聞東播支社長だった縁で実現した。講演では、本題に入る前にいわゆる“つかみ”で場の雰囲気をほぐすことが多い。塩田氏は2010年、将棋を題材にしたデビュー作「盤上のアルファ」で講談社の小説現代長編新人賞を受賞。当時は本社文化生活部で将棋担当。加古川市は「棋士のまち」でもある。この日のつかみは将棋ネタから入った。

 <将棋担当も長く担当した。現役記者時代を思い出すと、やっぱり、あの羽生善治さんとカラオケに行ったこと。羽生さんは10年以上前に有馬温泉であったタイトル戦王位戦で対局し、負けられた。担当記者は2日間張り付いて取材し、対局の日の棋士の夕飯も世話するが、勝敗が付いた日は難しい。一方は勝った棋士、もう一方は負けた棋士だから、勝負のことは口に出せない。他の話題を用意しておくのも記者の役割になる。

 羽生さんに早く休んでいただけるように、場を収めようとしたのだが、同席した当時の神戸新聞幹部が励まそうとして「カラオケ行きましょう」と言った。これは何とかしなければと思ったら、羽生さんは「あ、分かりました」。とっても礼儀正しくて、魅力的で優しい方だが、選曲が「ギザギザハートの子守唄」。あー、ギザギザハートだったんだなと思った。もう1曲は「津軽海峡・冬景色」。まあ、冬景色が見えていたんでしょう。>

■作家人生前半の低迷

 取材した著名人をただ紹介するだけでなく、人となりが伝わるエピソードを、ユーモアを交えて披露。ところが反応はやや受け。懇話会は普段、経済や政治情勢などをテーマにすることが多いからか、会場の雰囲気は硬い。しかし、塩田氏はひるまない。

 母親の読み聞かせが松本清張や森村誠一の著書だったこと、神戸新聞入社直後、ポケベルでの呼び出しを恐れる中、画面にパンダのマークがいきなり現れ、電池切れの表示だと知らずにパニックに陥ったこと-と、よどむことなく持ちネタを繰り出す。さすがに場もほぐれ、40分を過ぎてからようやくデビュー作で受賞した新人賞の話題に移ったが、作家人生の前半は苦労続きだったという。

 <講談社が賞をメジャーにしようとポスターを作製してくれて1作目は重版がかかっていったが、単行本が既に売れなくなっていった時代だった。電子書籍でカバーできると夢見ていた。2010年代にデビューした作家は、ほぼ例外なく苦労している。出身大学でサイン会があったが、来てくれたのはいとこや知り合いの知り合いなど45分で4人。空いた時間は、自分がサイン会する書店で立ち読みをした。この時にひょっとして選んだ道は厳しいんじゃないかと思った。

 2作目がオーケストラを題材にした「女神のタクト」。3作目は新聞社の労働組合の話で「ともにがんばりましょう」。これは自分が労働組合の執行部を務めた経験を基にしたが、重版が1回もかからなかった。労使交渉を書いたので、これ以上会社に甘えられないと2012年2月に会社を辞めた。10年前、新人賞の選考委員の作家は「会社を辞めろ」「辞めるな」が半々。今は絶対に「辞めるな」と言うが、当時は常に葛藤だった。

 13年に警察小説「崩壊」を出して、14年は勝負の年だと思って3冊出したが、この年は消費税が8%に上がり、単行本の売り上げの数字が全く動かなくなってしまった。キャリアのある作家も。状況が悪い時に勝負を懸けたのが、小説家人生前半の反省点。消費税を気にしなかった時点で甘かった。>

■浮上のきっかけ

 2014年に出した作品は、デビュー作の続編「盤上に散る」、性同一性障害をテーマにした「氷の仮面」、恋愛と犯罪ミステリーを織り交ぜた「雪の香り」。振り返れば確かに、単行本は書店で平積みされなくなっていた。翌年にはボクサーを描いた「拳に聞け!」も出したが、単行本なのに文庫本のような薄い表紙。専業作家に転身後、なかなかヒット作を生み出せなかった。低迷が続いたが、エンタメ路線だけでなく、社会派、ミステリー、スポーツと作風の幅は広げた。その執筆姿勢が浮上のきっかけをつかむ。

 <「崩壊」という警察小説を出した時、雑誌「ダ・ヴィンチ」の編集者が取材してくれた。その編集者は俳優の大泉洋さんのエッセーも担当し、推薦コメントを書いてくれと。著名な人のコメントの中で、一人だけ間違い探しみたいに僕の名前があるが、実はそこから編集者の策略が始まっていた。

 崩壊はそれまでのエンタメから、がらっと静かな路線に変えた。その切り返しが気に入ったようで、「大泉さんを主人公にして、当て書きの小説を作れないかと考えている」と。そんな企画は前代未聞。雑誌で連載するたびに、扉絵に毎月大泉さんの写真を載せる。最初に聞いた時に無理だと思った。全くヒットがない作家の原稿を見て、毎回着替えて写真を撮るなんて起こるわけないと思った。

 その企画が「騙し絵の牙」。2013年から始まった。編集者は何年も前から声を掛けるのが仕事。作家は、デビューして大事なのは誰と出会うか。いくら面白いものを持っていても、それを広げていく人がいなければ難しい。作家は一人で戦っているように見えても、随分いろんな人に支えられて、やっと立っていられる存在だ。

 大泉さんのマネジャーと編集者と3人で打ち合わせして、初めて本気だと思った。企画が始まって、最初の2年はプロット(粗筋の骨組み)作りだった。なぜ時間をかけたかというと、大泉さんは良い人だけど、仕事に関してはシビア。プロットを渡す瞬間が全て。出版業界を取り上げることにしたが、マネジャーから「これまでとこれからの大泉を表現できる物語にしてほしい」と言われた。古くなってきた出版業界がどうメディアミックスをしていくのかをまとめた。自信があったが、大泉さんが気に入っていないと聞き、直接本人を説得しようと思った。

 大泉さんが予約した東京のサムギョプサルの店で「出版業界は、新旧対比を最も明確にできる業界の一つだ。古い体質から新しいことに挑戦する人がいっぱいいるが、両方うまくいっていない。それをいかにうまくリードしていくか、新旧の波境にいるのが大泉さんです」と伝えた。プロットをまとめたA4用紙と編集者が作った相関図を出して説明した。すると、大泉さんは「俺やるよ。これ写真撮るんでしょ。いいよ」。

 物事が切り替わる瞬間って、あんなに拍子抜けするもんだと思った。それから話を詰めて2カ月に1回時間を取ってもらった。大泉さんにだいたいの原稿を伝えるが、何のことか分からないまま、例えば怒鳴っているところを写真に撮る。それが原稿のパーツになる。史上初の当て書き小説。出版業界の取材と同時に、大泉さんの特徴とか物まねのレパートリーの取材も進めた希有な小説だと思う。>

■メディアミックス

 「騙し絵の牙」は2021年に映画が公開。もちろん、大泉さんの主演で。単行本発売時には、大泉さんと一緒にテレビに出演し、映像化を見越した作品だとPRする。前例のないプロジェクトは新型コロナウイルスの影響もあったが、構想段階から8年間かかって結実した。

 作品の映画化は、グリコ・森永事件を題材にしたもう一つの代表作「罪の声」に続き、2年連続。塩田氏は両作品を「はい上がっていくための前輪と後輪」と説明した。2作とも緻密な取材を必要とする。当然、新作が完成するまでの時間はどんどん長くなる。

 <元記者なので、作品を書くためにものすごく取材する。設定だけで長編小説1冊分ぐらい。それが創作パート。同時にふかんした視線が大事で、出版業界の中の小説の立ち位置、メディアの中の出版の立ち位置を常に意識して、ものづくりを進めていく。

 これは全く売れなかった作家人生の前半、増税で簡単につぶれてしまうということを振り返ってのこと。SNSが出てきて、無料で楽しめるコンテンツがたくさん出てきて、どんどん本が読まれなくなってきた。新聞ともシンクロするが、どうやって戦っていくかを常に考える。前半の失敗がなければこういう考えはなかった。

 小説家は自分の作品をアピールするために日夜、頑張っている。僕の場合はメディアミックスをどう仕掛けるかを考える。文芸をおろそかにしているという人もいるが、そんなのは全く通用しない。世に出る情報量がすごいから、創作パートをおろそかにしていては通用しない。調べても、調べても読者は知っている。さらに深い取材をしようと、1作に対する取材がどんどん伸びている。

 (新聞の誤報・虚報を取り上げた)「歪んだ波紋」から、アニメ業界を書いた最新作「デルタの羊」まで2年ぐらい空いた。一つの作品が転げたら危ういが、それが一番やりやすい。記者時代にテレビ局も取材した。その強みを生かすにはやっぱりメディアミックスになる。大泉さんの企画も軌道に乗れば前代未聞になると思って進めた。>

■生かされる取材経験

 今回の講演、記者時代の失敗談の鉄板ネタから始まり、苦しんだ作家人生前半、そして起死回生を狙った「騙し絵の牙」と、まるで「逆境の塩田武士」。しかし、背景には同時期に進んだ出版業界の低迷が背景にあった。裏付けるデータを次々と示す。期待よりも電子書籍が伸び悩んでいる現状、出版業界の市場が四半世紀前のピーク時から4割も落ち込んだこと、出版社はコミックで持ちこたえていること…。丹念に取材したであろう数字が説得力を高める。

 自身の創作人生を通じて、業界全体の課題に広げていく。1冊の小説を読み進めていくとテーマが明らかになり、いつの間にかその世界に引き込まれていく。そんな感覚を味わう。「逆境の出版業界」を「目を覆うよう」と表現するが、音楽のように文芸の世界でもサブスクリプション(定額使い放題)の議論が生まれていることなどに触れ、「これから何を仕掛けていくか考えないといけない」と言葉をつなぐ。

 <昔は書いたら、誰かが宣伝してくれて、一定の額で売られて印税が入ってきたが、そうはいかなくなってしまった。これからどういう時代になっていくか、現代小説を書くに当たっては考えないといけない。デビュー10周年で出す作品は、取材過程を動画で撮影し、ドキュメンタリータッチで残していく。それを本の販売の時にどうやって生かすか。誰もやったことがない。そこからSNSや動画媒体につなげいくかを考えている。

 取材先のKDDIで、興味があったスマートグラス(3次元画像を映せる眼鏡)の話を聞いた。「デルタの羊」でアニメ業界を書いた時にVRゴーグルを扱ったが、とにかく重い。それが次はグラスになる。現状はスマートフォンと有線でつないでいるが、5Gが進んで通信がもっと早くなれば線がなくなる。スマートグラスを実際にかけたが、没入するVRゴーグルとは違い、景色の中にウインドーがぼわっと出てくる感じ。

 私たちの仕事で、そこにどんなものを映すかが大事になる。現場ではデジタルヒューマンといって、デジタルで本当の人間みたいなものが作られている。鬼滅の刃の炭治郎が好きなら、そこに映すことができる。今後はITで知的財産権をどう考えていくかがポイントになるのかな、と取材をしていて思った。

 小説は古いメディアだが、最先端の知恵のある人の話を聞いていたら、何かできることがあるんじゃないかとヒントはもらえる。新聞記者出身なので、とにかく人に会う。書物は基本的に編集作業を経て、はじかれた情報がすごく多い。はじかれてなくなった情報がどこにあるのかは直接の取材、現場が大事。そこを経験を生かして補っていこうと考えている。

 通信がどんどん変わって、どこにビジネスチャンスがあるかは立場によって異なるが、価値観の変化に気を配ることが、新しいものの創造になる。つまり、価値観の変わったところに人がほしいというものが存在する。それを見つけるには、愚直だが、アナログだが人に会うことが大事だと思っている。>

東播
東播の最新
もっと見る
 

天気(9月24日)

  • 28℃
  • 21℃
  • 10%

  • 26℃
  • 17℃
  • 20%

  • 28℃
  • 21℃
  • 10%

  • 29℃
  • 20℃
  • 10%

お知らせ