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発見されたカコ・コーラの瓶。よく見ると「Kako Cola」とプリントされている=加古川市加古川町寺家町
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発見されたカコ・コーラの瓶。よく見ると「Kako Cola」とプリントされている=加古川市加古川町寺家町
カコ・コーラの瓶が見つかった経緯を語る田中茂さん=加古川市加古川町寺家町
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カコ・コーラの瓶が見つかった経緯を語る田中茂さん=加古川市加古川町寺家町
衣笠仁浩さん(田中茂さん提供)
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衣笠仁浩さん(田中茂さん提供)
カコ・コーラを製造していた頃のことを語る新興酒店の高見洋子さん(左)と長女逸子さん=加古川市加古川町平野
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カコ・コーラを製造していた頃のことを語る新興酒店の高見洋子さん(左)と長女逸子さん=加古川市加古川町平野
「新・かこがわ事典」「かこ・スタイル2」に載ったカコ・コーラの記事
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「新・かこがわ事典」「かこ・スタイル2」に載ったカコ・コーラの記事

 「カコ・コーラ」なる清涼飲料水が、かつて兵庫県の加古川市周辺で販売されていた、という「都市伝説」があった。かの大手飲料メーカーの製品にあまりにも似ているため、クレームを受けて、1970年代前半のわずか2年しか製造されなかったとされる。知る人は少なく、長年、その存在さえ証明されていない「幻のコーラ」だったが、最近になって空き瓶が発見された。探し出された背景には、亡き人への思いがあった。(斉藤正志)

 ■「おもろいもん」が好きだった

 長さ20センチほどの透明のガラス瓶。よく見ると、「Kako Cola」の筆記体の文字のプリント跡が、うっすらと残っている。

 NPO法人「シミンズシーズ」(加古川市)代表理事、田中茂さん(66)を訪ね、見つかった瓶を見せてもらった。

 「衣さんも天国で喜んでくれているでしょう」と、しみじみと語る。

 「衣さん」とは、同法人副代表理事を務め、2019年に64歳で急逝した衣笠仁浩さんのことだ。市民団体「すっきゃ加古川」代表として、ご当地検定「かこがわ検定」を07年に始め、企画、運営の中心的な存在だった。

 田中さんは「衣さんは、とにかく『おもろいもん』が好きな人だった」と回想する。

 衣笠さんは建築資材を扱う会社を営みながら、「ほんだら通信」という名のミニ新聞を作り、知人に配っていたこともあったという。時事問題などをテーマに、面白おかしく自分の考えを書いていた。

 もともとカコ・コーラを探し始めたのは、その衣笠さんだった。

 ■きっかけは「大人のクラブ活動」

 05年のことだった。田中さんは当時の加古川市長からの依頼で、同市の魅力を伝える本の編集を手掛けることになり、旧知の衣笠さんに声をかけた。

 住職や会社経営者ら10人による編集委員会の会議は、いつも和気あいあいとしていた。メンバーは、それを「大人のクラブ活動」と呼んだ。

 「カコ・コーラ、知っとるけ?」

 衣笠さんが言い出した。加古川東高校(同市加古川町粟津)に通っていた頃、校内の自動販売機で売っていたという。衣笠さんは、1人で調べ始めた。

 衣笠さんは、自身が通学していた1970年代の卒業生に聞き回ったが、有力な情報はなかった。

 2006年に刊行した「新・かこがわ事典」では、カコ・コーラに1ページを割いた。手掛かりはあったが、詳しくは分からなかったという内容だった。

 10年には、続編となるムック本「かこ・スタイル」を発行。衣笠さんはカコ・コーラを知っている人を見つけ、製造していたかもしれない飲料工場にもたどりついた。しかし関係者がよく覚えておらず、調査はそこで止まった。

 ■「証拠」がない

 「カコ・コーラを引き継いで調べたい」

 14年秋、さらなる続編「かこ・スタイル2」の編集会議で、若松千恵子さん(58)が言った。若松さんは、かこがわ検定上級合格者でつくる「かこがわ人の会」に所属し、編集委員会では田中さんのチームに入った。「かこ・スタイル」の衣笠さんの記事を読み、興味を抱いていた。

 若松さんは自動車修理会社を営む知人から、取引のあった加古川市内の飲料工場で、カコ・コーラを見たことがあるとの証言を得た。

 その工場である「新興鉱泉所」(同市加古川町平野)は、既に稼働していなかったが、同じ敷地で「新興酒店」が営業を続けていた。

 店主の高見洋子さん(80)への聞き取りで、新興鉱泉所を営んでいた夫の弘さん(故人)がカコ・コーラを考案し、洋子さんも製造を手伝っていたことが判明。しかし、クレームを受けて製造を中止した際、瓶やロゴ印刷用の型などを全て廃棄していた。

 カコ・コーラの存在は、ほぼ裏付けられたが、「証拠」がなかった。

 若松さんは洋子さんから家族アルバムを借り、写真に瓶が写り込んでいないかくまなく調べた。しかし、どの写真にも見当たらなかった。

 新興酒店での話をまとめたカコ・コーラの記事は、15年に発行された「かこ・スタイル2」に掲載された。

 その後、なかなか進展がなかったところ、予期せぬ訃報が届く。

 19年6月、衣笠さんが急死した。

 田中さんは「直前までメールをやり取りしていた。連絡を受けた時は信じられなかった」。衣笠さんとともに活動をしてきた人たちは、ぼうぜんとなった。

 ■「僕、持ってますよ」

 「探し物は、探すのを止めると見つかる」という格言がある。

 調査が暗礁に乗り上げ、誰もがほとんど諦めていた頃、瓶は見つかった。

 21年1月。田中さんが、地域づくりの市民グループ「パクパクパーク」に招かれ、加古川市加古川町のコミュニティースペースで、地元の歴史などを話した時のことだった。

 会場では、地元の高校生がカコ・コーラについて調べた動画を上映していた。

 「この瓶、衣さんが探しててなぁ」

 田中さんが、同グループの藤輪友宏さん(49)に何げなく言うと、「僕、持ってますよ」と返された。

 思わず、「えー!」と声が出た。

 藤輪さんの知人が、自宅の建て替え時に家財道具を整理していた際に見つけたという。知人は藤輪さんが地域活動をしているのを知っており、「珍しい瓶が見つかった」と連絡した。それがカコ・コーラだった。藤輪さんは瓶を譲り受けていた。

 後日、田中さんが瓶を見せてもらうと、「Kako Cola」のプリント跡があった。衣笠さんを含め、みんな「Caco Cola」だと思い込んでいた。

 電話で知らせを受けた若松さんも、「えー! うそー!」と驚いた。

 衣笠さんが探し始めてから、16年がたっていた。

 ■墓前で報告へ

 田中さんは、一つ年上の衣笠さんと加古川青年会議所で知り合い、40年来の付き合いだったという。かつて田中さんの自宅で、ほぼ毎月開いていたNPO法人の理事会には、副理事の衣笠さんも参加していた。

 長時間の会議は、最後は宴会になり、よく深夜まで話し込んだ。法人運営の真面目な話だけでなく、身の回りの「おもろいこと」など、話題は多彩だった。

 「カコ・コーラの新しい情報が入るたび、衣さんはうれしそうだった。衣さんが健在なら、この瓶だけで、おいしい芋焼酎を何杯も飲んだでしょうね」

 田中さんは瓶を手に、懐かしそうにほほ笑んだ。4月21日には衣笠さんの遺族に瓶を預けた。墓前で報告してもらうことにしている。

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