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弥生時代の集落遺跡からの出土品が並ぶ展示会場=県立考古博物館
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弥生時代の集落遺跡からの出土品が並ぶ展示会場=県立考古博物館
大中遺跡から出土した鉄器(県立考古博物館提供)
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大中遺跡から出土した鉄器(県立考古博物館提供)

 弥生時代の集落跡で、発見から60年を迎えた国指定史跡「大中遺跡」(兵庫県播磨町大中1)などを紹介する特別展「弥生集落転生-大中遺跡とその時代」が、県立考古博物館(同)で開かれている。同遺跡を含む東播磨地域や淡路島、香川県など、県内外計26カ所の遺跡から出土した土器や銅鏡など324点を集め、弥生時代から古墳時代にかけて変わりゆく人々の暮らしぶりを伝える。(児玉芙友)

 同遺跡は弥生時代終わりから古墳時代初頭(2~3世紀半ば)の集落跡で、広さ約8万平方メートル。1962年、地元中学生3人が土器を見つけたことをきっかけに調査が始まり、67年に国史跡に指定された。

 今回の特別展では、同遺跡が発展した弥生時代後期と近い時代の出土品を、兵庫県や周辺にある遺跡ごとに展示している。弥生時代中期の遺跡から時代順に、パネルも使って紹介。時代ごとの変遷をたどることができる。

 展示品のうち食器では、弥生時代中期(紀元前1世紀頃)の玉津田中遺跡(神戸市西区)で、食事の際に使われたとされる高さ約30センチの大型のつぼ型土器ばかりが見つかっている。同遺跡から数百年後の大中遺跡では、取り分ける銘々皿が見つかるように。さらに同時代後期前半の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市)は、現在でも使われているようなお茶わん形の土器が多い。

 数百年の違いで見つかる皿の種類が変わる背景には、狩猟から稲作に変わったことや、鉄の普及による食環境の変化が考えられるという。

 また、弥生時代の銅鐸(どうたく)は時代が進むごとに大型化。装飾も派手になっていった。加古川市八幡町で見つかった、弥生時代中期のものとみられる望塚(ぼんづか)銅鐸は高さ約40センチ。内部には棒が当たってすり減った跡があり、儀式を行う際に風鈴のようにつるしたとみられる。一方、同時代後期(2世紀頃)に、川西市で見つかった栄根銅鐸は高さが1メートルを超え、つり手の「鈕(ちゅう)」や側面の「鰭(ひれ)」に豪華な装飾があしらわれている。たたいた跡はなく、観賞用だったようだ。

 銅が広まり、素朴だった銅鐸も、共同体の祭祀(さいし)における意味や役割を変えていったとみられる。

 中川渉学芸員(61)は「大中遺跡の発見60周年に伴い、これまでの研究を再調査した。弥生から古墳へと時代が転換するのに合わせ、当時の人々のライフスタイルが変わる面白さを感じてほしい」と話す。

 7月3日まで。午前9時半~午後6時。月曜休館。大人500円、大学生400円、高校生以下無料。同館TEL079・437・5589

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