114年前の1908年(明治41年)元日、神戸新聞が紙面の付録として発行した兵庫県全域の地図が、兵庫県加古川市の民家で見つかった。一部に虫食いや補修した跡はあるが、保存状態はおおむね良好で、埋め立てられる前の海岸線や明治末期の地名、交通網などを知ることができる。(児玉芙友)
地図が発見されたのは、加古川市に住む無職船倉光昭さん(65)の築133年の自宅。天井裏で探し物をしていた際、木箱の中から偶然出てきたという。
保管していたのは、45年に73歳で亡くなった船倉さんの曽祖父、好太郎さんとみられる。船倉さんによると、旧加古郡加古川町の助役を務めていたという。木箱からは、一緒に朝日新聞や読売新聞など他紙が発行した東京都や静岡県の地図も見つかり、船倉さんは「記録のために保管していたのでは」と想像する。
地図は縦約90センチ、横約60センチ。上部には、「明治四十一年一月一日神戸新聞 第参千五百拾四號附祿(ごうふろく) 兵庫縣(けん)管内全圖(ぜんず)」と記されている。「神戸新聞100年史」によると、新年の新聞発行の付録として地図を配ったようだ。
1908年時点の東播地域を走る鉄道は、山陽線として開業していたJR神戸線のみ。地図ではJR加古川線や山陽電車はまだ走っておらず、高速道路や幹線道路も通っていない。加古川に架けられた橋の本数も今より少なく、現在の交通網との違いが分かる。
東播地域では1879年に郡区町村編制法が施行され、高砂市の東部から加古川市南部、稲美、播磨町、明石市の西部を含んだ加古郡が誕生。地図からは現在もなじみのある「氷丘」「荒井」「別府」など、当時の村名が並ぶ。
また、播磨町の人工島・新島や神戸製鋼所がある埋め立て地・加古川市金沢町がまだないため、かつての播磨灘沿岸の海岸線の様子も想像できる。
ほかにもこの地図では、地名が旧仮名遣い表記で、右から読む形となっている。例えば、「神戸」は「かうべ」、「加古川」は「かこかは」、明石市の「大久保」は「おほくぼ」と記されている。
日本新聞博物館(横浜市)によると、明治初期から戦前にかけて、読者サービスの一環として、地図やすごろくなどの付録を配布する新聞社は多かったという。日露戦争中の戦地の地形が分かる地図、関東大震災時に配られた被災地域の地図など、報道機能を補完する役割もあったようだ。
地方紙が読者に地域への興味をかき立てるきっかけとして、地図を発行したことも多い。船倉さんは「地形や地名に現在の名残もあり、懐かしさも感じられる。地図を見ながら明治期の暮らしをイメージするのは楽しい」と話した。

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