東播

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加古川市の総合防災マップを手に「各家庭で必ず確認しておいて」と呼びかける横山恭子さん=加古川市加古川町友沢、市防災センター
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加古川市の総合防災マップを手に「各家庭で必ず確認しておいて」と呼びかける横山恭子さん=加古川市加古川町友沢、市防災センター
高齢者に防寒用シートを比べてもらう横山恭子さん。片方は安価だがシャカシャカと音が=加古川市西条山手2
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高齢者に防寒用シートを比べてもらう横山恭子さん。片方は安価だがシャカシャカと音が=加古川市西条山手2

 加古川東高校(兵庫県加古川市加古川町粟津)で昨年10月19日、南海トラフ巨大地震を想定し、地元町内会を交えた約千人規模の避難訓練があった。防災担当教諭とともに立案したのが、防災士の横山恭子(たかこ)さん(50)だ。担架でのけが人搬送や3、4階への垂直避難を盛り込み、校内をありのままの状態にして、生徒らに行動を判断させる場面も取り入れた。

 実施後のアンケートでは、避難路の混雑と誘導の必要性、担架の取り扱いの不慣れなど課題が浮き彫りになった。「多くの気づきがあったし、生徒と住民との関係づくりにもつながった」と手応えを感じた。

 防災士として年約30件の訓練や研修、講座をこなす。原点は1995年1月17日の阪神・淡路大震災だ。

 同市内の実家は家具が倒れ、食器は割れて床一面に散乱するなど「ぼうぜんとするほかなかった」。約1カ月後、三木市の救援物資拠点でボランティアに参加。目にしたのは、整理されず山積みになった古着や食器などの救援物資だった。「事前の備え、情報発信の重要性を知った」という。

 結婚、出産を経た2005年12月、父が見せてくれた神戸新聞東播版の記事が、防災の道を目指す第一歩となった。加古川市が初の女性消防団の団員を募集しているとの内容で、父は「おまえならできるのでは」と勧めた。「子どもの頃、古切手を集めて途上国支援をしていたのを覚えていたらしい」。地域貢献のつもりで応募し、06年4月、代表に選ばれた。

 ただ、活動のほとんどが街頭啓発で、災害現場に赴くことはなかった。もどかしさを感じていた時に見つけたのが防災士の資格だった。「災害が起きる前にできることがある」と10~11年、講習や試験を受けた。

 合格通知は11年3月11日、東日本大震災の発生当日に届いた。津波の映像を目にして無力感が脳裏をよぎったが、めげなかった。多くの子どもが逃げられず命を落としたからだ。「自分が親だったらと思うと、悔しかった。防災を、交通安全のように当たり前に教わる社会にしたい」との思いがこみ上げた。

 1年間、各地の防災士の活動を見て回り、13年から東播地域の保育所や学校で防災教室を開いた。幼い子向けに「おもちゃを片付けないと逃げる時にけがをするよね」「遊びに行く場所を必ず伝えておく」といった「しつけ防災」を展開。中学校の訓練は学年に応じた内容を考え、3年生には避難所運営を教えた。

 14年丹波豪雨、18年西日本豪雨など各地の災害ボランティアにも出向き、教訓を講座や訓練に生かす。近年は被害が目立つ高齢者向けに注力。心がけるのは「実感してもらう」ことだ。

 昨年12月、加古川市内での高齢者向け講座。被災地での体験を話した後、非常備蓄品を紹介した。2種類の防寒用アルミシートを触ってもらう。片方はシャカシャカと耳障りな音がする。「夜の避難所のあちこちで響く状況を考えてみてください」。みな納得した。

 「災害時に重要なのは、互いを思いやる気持ち。その意識を共有していきたい」。防災士の緑の制服をまとい、各地に赴く。

     ◆

 阪神・淡路大震災から28年。被災体験や震災を契機にした取り組みは、多くの人の人生に影響を与えてきた。さまざまな形で災害や防災と向き合う、東播ゆかりの3人が刻んだ記憶をたどる。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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