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中国・鞍山市にいた頃の写真を示しながら、当時の体験を語る堀川哲男さん=加古川市
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中国・鞍山市にいた頃の写真を示しながら、当時の体験を語る堀川哲男さん=加古川市
中国・鞍山市にいた頃の写真を示しながら、当時の体験を語る堀川哲男さん=加古川市
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中国・鞍山市にいた頃の写真を示しながら、当時の体験を語る堀川哲男さん=加古川市
6歳の頃の堀川さん(左)らきょうだい。中国・鞍山市近郊の千山で撮影した=1942年
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6歳の頃の堀川さん(左)らきょうだい。中国・鞍山市近郊の千山で撮影した=1942年

 太平洋戦争で日本が敗戦した後の1945(昭和20)年11月、中国東北部の鞍山市で「千山事件」と呼ばれる日本兵の武装蜂起があった。ソ連軍によるシベリアへの連行を拒み、山に立てこもったが、鎮圧されて大勢の人が命を落とした。当時9歳だった堀川哲男さん(85)=兵庫県加古川市=が兄のように慕っていた日本兵も、帰ってこなかった。「他の日本兵から『死んだ』と聞かされたが、いまだに信じられない」と話す。(斉藤正志)

 堀川さんは、父が鞍山市の満州神鋼金属工業に勤めており、同市の日本企業の社宅街で生まれ育った。

 自宅から歩いて20分ほどの川を渡った所に、日本軍の三角屋根の兵舎があり、堀川さんはよく遊びに行った。その兵舎に「高野曹長」がいた。

 20代の高野曹長は穏やかなしゃべり方をする人で、「キング」「科学画報」などの雑誌を持って行くと、喜んでくれた。一緒に五目並べなどをして遊び、よくお菓子をくれた。

 終戦後の45年9月、高野曹長は笑みを浮かべ、「もうすぐ兵隊をやめるが、君の家で泊めてくれるか」と聞いてきた。堀川さんは二つ返事で承諾し、母に「用心棒になるよ」と言って説得した。

 同11月、婦人会の要請でおにぎりを各家庭で供出することになり、堀川さんは竹の皮に包んだおにぎりを二つ持ち、駅前へ行った。軍服姿の日本兵が千人以上いた。シベリアへ連れて行かれると聞いた。

 その後、堀川さんが兵舎に行くと、誰もいなくなっていた。近郊の千山では、脱走した日本兵と共産党軍による戦闘が起きていた。

 しばらくして、同じ社宅街の日本人が、山から逃れてきた敗残兵を何人もかくまっていると聞いた。その人に頼まれ、堀川さん宅でも入れ替わりで計3人を預かった。

 日本兵は「銃撃戦で武器が少なかった」「戦友が大勢死んだ」「命懸けで抜け出してきた」などと教えてくれた。

 堀川さんが「高野さんはどうしたの」と聞くと、一人は「高野は死んだらしい」と答えた。伝聞だったので、堀川さんは信じなかった。

 堀川さんら一家は46年8月に日本に引き揚げた。高野曹長のことが気に掛かり、関係者を訪ねたり、手紙を出したりして聞いたが、消息はつかめなかった。

 「高野さんの物腰柔らかな話し方を、いまでも思い出す」と堀川さん。「戦争は生活をめちゃくちゃにしてしまう。もう絶対にしてはいけない」と語った。

【千山事件】1945(昭和20)年11月、中国・鞍山市で、一部の日本兵がシベリアへの送還から逃れ、近郊の千山に立てこもった事件。当時の鞍山市はソ連軍と共産党軍に支配され、北上する国民党軍への呼応を図ったとされる。加わった日本兵は数百人から2千人ともいわれ、共産党軍と激しい戦闘を繰り広げたが、すぐに鎮圧された。敗残兵は日本人社会に紛れ込み、共産党軍が捜索を繰り返した。「七嶺子(しちれいし)事件」とも呼ばれる。

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