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高知の建設コンサルタント会社に勤める岩瀬誠司さん。原点は中学時代の震災学習だ=高知市介良、第一コンサルタンツ
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高知の建設コンサルタント会社に勤める岩瀬誠司さん。原点は中学時代の震災学習だ=高知市介良、第一コンサルタンツ
「高知大学防災すけっと隊」などが小学生を対象に開いた防災キャンプで、講師を務めた岩瀬誠司さん(奥左)=2017年7月、高知県須崎市(岩瀬さん提供)
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「高知大学防災すけっと隊」などが小学生を対象に開いた防災キャンプで、講師を務めた岩瀬誠司さん(奥左)=2017年7月、高知県須崎市(岩瀬さん提供)

 2018年7月の西日本豪雨。高知県大豊町では、高知自動車道そばの山肌が幅約90メートル、長さ320メートルにわたって崩れ、上り線の橋桁を流した。約2カ月後、兵庫県加古川市出身で高知市の建設コンサルタント会社に勤める岩瀬誠司さん(27)は、この現場近くにいた。

 西日本豪雨によって高知県で起きた土砂災害は120カ所以上。会社は応急対策や復旧に向け多数の調査・設計依頼を受け、岩瀬さんも何度も現場へ赴いた。同年4月に就職したばかりの新入社員だったが「被害の一つ一つをつぶさに調べることが、対策に生かされる」と神経をとがらせた。

 なぜ高知に? 話は13年前、加古川市立平岡中学校時代にさかのぼる。

 同校は2年生を対象に、神戸市長田区などで被災体験を聞く震災学習を展開。岩瀬さんは09年11月、震災で大きな被害が出た同区の西市民病院を訪ね、看護師から当時の話を聞いた。

 病院は5階がつぶれ、高齢者と看護師らが閉じ込められたが、みんなで「ふるさと」など童謡を歌い、元気づけ合った。自宅で被災した看護師の大半が病院に駆け付け、必要な患者の搬送を通りがかりの車が手伝ってくれた。語られる全てが脳裏に焼き付いた。

 神戸の私立高校を卒業して高知大学へ進学。入学式当日渡されたパンフレットの中に「高知大学防災すけっと隊」というサークルを見つけた。阪神・淡路を教訓に、防災に取り組んでいるという。すぐ入部した。震災のあった1995年生まれ。「震災学習以降、ずっと心に引っかかっていた。自分にできることは?」

 同サークルは08年に発足し、毎年約20人が活動。当初は防災教育が中心だった。岩瀬さんが加入した14年、さらに積極的に地域に関わろうと、川沿いの山肌に面した高知市西部の岩ケ淵地区で始めたのが「耕活プロジェクト」だ。

 土砂災害や川の増水で道路が寸断されると孤立する。そこで、地域の耕作放棄地を借りて農地を整備し、住民と一緒に育てた野菜を備蓄することにした。収穫時はその一部を使って炊き出し訓練を行い、コミュニティーカフェも開いた。岩瀬さんは副代表的立場で、地域との連絡係や隊員の活動調整を担った。

 「耕活新聞」を発行し、農地の状況や活動報告、防災の豆知識などのほか、メンバーの紹介記事も載せ「顔の見える関係」を継続した。活動は、防災まちづくり大賞の15年度日本防火・防災協会長賞に輝いた。「顔を合わせ、互いの状況を知るツールになり、個々の備えを促す契機になった」

 大学卒業後は「地元(加古川)に帰るつもりはなかった」。高知でのつながりを生かし、もっと防災に関わりたかった。安全靴やヘルメット、測量用ポールを手に災害現場へ。時には車で3時間、歩いて3時間という山中での仕事もあるが、「防災に関わることに誇りを感じる」。

 昨年12月、会社の同僚と東北の被災地を訪ねた。津波にのまれ、更地から設計されたまち。南海トラフ巨大地震では、高知もそうなる可能性がある。「ゼロからのまちづくりで、住民の意向をいかに反映できるか」。行政と住民との橋渡しができるのは、地元企業だと思う。遠く離れた地で迎える1月17日。胸に秘めるのは、「高知を守る」との決意だ。

     ◆

 阪神・淡路大震災から28年。被災体験や震災を契機にした取り組みは、多くの人の人生に影響を与えてきた。さまざまな形で災害や防災と向き合う、東播ゆかりの3人が刻んだ記憶をたどる。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

【バックナンバー】
(上)災害の前にできること 防災士・横山恭子さん

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