航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の柄をあしらった畳や、畳を利用した椅子、畳縁の生地を生かしたストラップやカードケースなど、畳の材料を活用した商品を生み出している清水畳店(宮城県東松島市)。
東松島市はブルーインパルスの本拠地、航空自衛隊松島基地がある。同店代表の清水好和さんに、商品開発の経緯や地元への想いなどを聞いた。
■震災後、ブルーインパルスの雄姿を見て感動に震えて泣いた
和室には欠かせない畳。湿気の多い夏には適度な吸湿性があり、冬は温かみがある、日本の気候風土に合ったアイテムだ。そんな畳の縁に縫い込む帯状の布「畳縁」にブルーインパルスの柄をあしらった畳がある。
ブルーインパルス柄は刺繍のように見えるが、織物だという。素材はポリエチレン、ポリエステル、ポリプロピレンで、一般的な畳縁に使われる素材とのこと。
清水さんがブルーインパルスの柄を畳縁に入れようと思った動機は、2011年3月11日に発生した東日本大震災が大きく影響している。
清水さんは当時、地元の消防団に所属していた。
「日中は救助、行方不明者の捜索、ご遺体の搬送を行い、夜は不審者を警戒して夜通しのパトロール。そんな日が1カ月ほど続きました。それからは復興需要に追われ、毎日夜遅くまで畳をつくっていました。記憶がモノクロでしか思い出せないほど、すさまじい日々でした」
ブルーインパルスが配備されている航空自衛隊松島基地も津波が襲い、F2戦闘機やUH60ヘリコプターなど、多くの航空機が被害に遭ったという。だが、ブルーインパルスは、たまたま福岡へ展開していたため被害を免れた。
数カ月後、ブルーインパルスが地元・東松島の空を飛んだ。その時の感動を、清水さんはこう語る。
「音とスモークとにおいを感じ、涙が自然と流れてきました。どんなひどい状況の消防団活動でも泣けなかったのに…」
震災前の日常が返ってきたような感じがして嬉しく、そして懐かしかったという。
ブルーインパルスの畳縁を作ろうと思ったのは、震災から5年経った2016年のこと。復興支援のため全国から駆け付けていたボランティアたちから聞いた「毎日ブルーインパルスが見られるなんて素晴らしい!」という言葉に、あらためて気づいたことがあった。
「ここに住んでいると、家や学校からいつも見えていて、すっかり日常に溶け込んでいます。外部の方から気付かされる地元の魅力ってあるんですね。震災を機に、自分なりに地元に残せること、貢献できることをしたいと思うようになりました」
そこで思い出したのが、震災後に地元の空を飛んだブルーインパルスを見て泣いた日のことだった。
「私は畳を作ることしか出来ません。だったらブルーインパルスの畳を作ろう!そして多くの人にブルーインパルスの魅力を知ってもらい、東松島市に足を運んでもらおうと考えて、オリジナルでブルーインパルスの畳縁を作り始めました」
畳縁の柄は、清水さん自ら考えたデザインを、岡山にある畳縁メーカーと相談しながら製作したそうだ。
そして今、畳のバリエーションや畳縁から派生した商品も増えた。畳以外の製品は、清水さんのお母さんと奥さんが手作りしているとのこと。
畳縁は柄が連続した細長い帯状の織物だ。畳に縫い込んでいく際に、畳の合わせ目で柄が不自然に切れない配慮をしているという。
また、木製の脚が付いた「ブルーインパルスチェア」は、東松島市内で木製家具を製作する業者とのコラボ商品だ。
「ブルーインパルスの取り組みを始めたことで、他業種の方との交流が生まれるという嬉しい効果もありました」
清水さんが伝えたい「畳の魅力」を聞いてみた。
「畳は、奈良・平安時代から、その姿をほぼ変えていません。素材は変化しながらも基本的な形が変わらないのは、確かな有用性を誰もが認めてきたからでしょう。素材や畳縁を選べるオーダーメイド性も魅力で、好みに合わせたアレンジも可能です」
東松島市にとって、ブルーインパルスは日常のシンボルであり、大きな観光資源であると語る清水さん。ブルーインパルスの柄で畳縁を作る取り組みを始めてから、通常は知り合うことのなかった人たちとの交流も生まれた。
「このご縁を大切に、多くの皆様が東松島市を訪れたくなる商品開発を行い、ブルーインパルスと畳の魅力を伝えて観光人口の増加につながればいいですね」
ブルーインパルスを通して得た、大きなご縁に感謝しているという清水さん。畳を通して地元に貢献したいと、熱い想いを持っている。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)