連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

祈り継ぐ震災21年

  • 印刷
津知公園の追悼式典で献灯し、手を合わせる住民ら=2013年1月17日、芦屋市津知町
拡大
津知公園の追悼式典で献灯し、手を合わせる住民ら=2013年1月17日、芦屋市津知町
来年の追悼式典の取りやめを知らせる張り紙
拡大
来年の追悼式典の取りやめを知らせる張り紙

 阪神・淡路大震災20年を経て、被災地各地で追悼行事を取りやめるなどの動きが出てきた。芦屋市内で最多の死者が出た津知町の津知公園での式典もその一つ。亡き人を悼む思いは何年たっても薄れないが、担い手は確実に減少。震災の記憶を共有し胸に刻む場でもある追悼行事を、誰がどんな形で次代へ引き継ぐのか。遺族もその答えを模索する。(1面参照)

 神戸市との市境にある芦屋市津知町では、建物の全半壊率が9割を超え、当時の住民1218人のうち56人が亡くなった。同町自治会は1997年、被災者のテント村があった津知公園に「絆」の文字を刻んだ慰霊碑を建立。毎年1月17日に追悼式典を開き、前日からテントを張って準備してきた。当日も早朝からお茶を提供していたという。

 今年も遺族や住民ら約150人が地震発生時刻の午前5時46分に黙とう。自治会は式典の終了直後から、今後について役員らが話し合ってきた。中井順介会長(86)は「30年、50年と続けたいが、住民も年を取り、いずれ区切りが必要だった。20年が節目だと判断した」と明かす。10月には、慰霊碑そばの掲示板に式典の取りやめを知らせる紙を張った。来年はテントは張らず、献花の場所だけを設ける予定だ。

 震災時に住んでいた津知町で小学1年の長男漢(くに)之(ゆき)君=当時(7)=と幼稚園児の長女深(み)理(り)ちゃん=当時(5)=を亡くし、現在は東京都在住の米津勝之さん(55)は「遺族にとって追悼式典の有無は関係なく、その場に行くことに意味がある」と指摘。式典では、黙とうの発声を担ってきた。「1月17日は子どもたちに思いを語り掛ける日。変わることはない」と強調する。

 一方で米津さんは、漢之君が通った市立精道小学校で児童に命の重みを語り続けている。追悼行事についても震災を伝える役割は感じており、「個人に祈りの場の維持を委ねるのには限界がある。行政が関わっていかなければ、継承は難しいのではないか」と話す。(阿部江利)

 【ご意見をお寄せください】

 阪神・淡路大震災の追悼行事について、その形はどうあるべきか、次代へどう引き継ぐのか。ご意見をお寄せください。〒650-8571(住所不要) 神戸新聞社報道部「祈り継ぐ」係。ファクスは078・360・5501、メールはshinsai@kobe-np.co.jp

2015/11/20
 

天気(10月27日)

  • 23℃
  • ---℃
  • 10%

  • 20℃
  • ---℃
  • 50%

  • 23℃
  • ---℃
  • 10%

  • 23℃
  • ---℃
  • 20%

お知らせ