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祈り継ぐ震災21年

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【忘れられるのは寂しい】

 -阪神・淡路大震災で、新婚4カ月だった長男の伸也さん=当時(27)=と妻富子さん=同(25)=を亡くした。2000年、神戸市中央区の東遊園地に「慰霊と復興のモニュメント」が完成して以来、豊岡市から毎月通い続け、掃除している

 1月17日に東遊園地である「1・17のつどい」は、法事のような感覚。毎月の17日にも、モニュメントに二人の供養に来ている。7年前に病気する前は(二人が暮らした場所に近い)桜を植えた石屋川公園(神戸市灘区)と、はしごができてたんやけどね。

 JR三ノ宮駅の方から来てモニュメント地下の「瞑想(めいそう)空間」に入り、僕の汗臭いハンカチをポケットから取り出して、銘板に刻まれた二人の名前を拭く。「久しぶりやな」と手を合わせて掃除、がいつもの流れ。

 でも街を歩いても、石屋川公園に行っても、直感というか「震災を思ってくれる人が減っとるなあ」と思う。モニュメントの掃除や式を手伝ってくれる人も減っている。

 -2014年、12年間務めたNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り」の理事を若手に託した

 震災の話をして、行事の手伝いを続けるのは、少しでも「減災」と、「風化」を防ぐ思いを伝えたいから。遺族として震災に関わる行事が消えていき、震災が忘れられていくのは、ごっつい寂しい。「1・17」をもっともっと叫んでほしい。

 僕としては、どんどん新しいことを取り入れて、風化しないよう、忘れられないよう、若い力で形を変えてほしい。商売も、去年と同じことを続けたら売り上げは落ちるやろ。

 -祈りの場は、どのような存在か

 僕は今でこそ気持ちを口に出せるけど、それまで、ものすごい時間かかったで。遺族の中には今も、言いたいけど耐えてる人がいる。僕は、慰霊碑を訪ね歩く「震災モニュメントウォーク」に参加したのをきっかけに、いろんな人に出会って、元気をもらって今がある。

 僕にとっては1年も5年も20年も一緒やけど、祈りに来るたびに知り合いが増えて、支えてもろうてきた。感謝、感謝なんや。(聞き手・阿部江利)

=随時掲載します=

 あだち・えつお 1932年、養父市生まれ。豊岡市在住。70歳になるまでの17年間、兵庫県立豊岡南高校(現豊岡総合高校)で食堂を営んでいた。震災遺族らでつくる「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り」で、2014年まで理事を務めた。

2015/12/30
 

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