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祈り継ぐ震災21年

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兵教大岩井圭司教授
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兵教大岩井圭司教授

 【皆で記憶を共有できる場】

 -阪神・淡路大震災発生以降、長く被災者に向き合ってきた。追悼や祈りの場は、遺族ら被災者にとってどのような意味があるのか

 災害から歳月がたつと、社会はそれを忘れていく。遺族ら生存者は「自分だけは犠牲者を覚えておかないといけない」と感じ、つらい気持ちを自分だけで担うことにプレッシャーも感じてしまう。

 祈りの場には、遺族でない人も訪れる。年に1回でも皆で思い出し、それを示すことで、遺族らは「他の人も覚えてくれている」「関心を持ってくれる人が大勢いる」と感じられる。逆に社会の記憶が薄れ、忘れられていくと苦しみは増す。

 -他には

 追悼行事には“灯台効果”がある。灯台は海を照らすわけではないが、そこにたどり着けば何とかなる場所。毎日、震災を思って生活するわけではない。「あそこに行けば追悼できる」という場があるのが大事だ。

 -東日本大震災も起こった

 規模の大きさや復興の遅れから「阪神・淡路よりひどい」などといわれる。阪神・淡路もひどかった。安易に比べられると私自身、腹が立つ。黙っているだけで、傷ついている被災者は多いと思う。

 東北に思いをはせると、東京電力福島第1原発事故の被災者が心配だ。不安を感じている人に対し、「不安を語るな」という風潮に傾いていないか。語ることを封じ込めても、不安やトラウマ(心的外傷)は減らない。同時に、神戸に対しても「『もう復興したからいいじゃないか』と無言の圧力をかけていないか、遺族に対しデリカシーのないことをしていないか」と自分に問い返してもいる。

 -追悼行事が減りつつある

 住民の中には「もう十分復興した」と、震災のつらい記憶を忘れたいという人もいるだろうが、むしろ無関心なだけという人の方が多いかもしれない。忘却することで、歴史は繰り返されてきた。慰霊碑だけでは駄目で、住民による語り継ぎが伴わないといけない。つらかった記憶を忘れず、年中行事などと結び付けて伝えていく必要がある。(聞き手・阿部江利)

 いわい・けいじ 1961年、大阪市生まれ。医師、臨床心理士。兵庫県精神保健協会こころのケアセンター医師などを経て、2004年から現職。犯罪被害者の支援にも取り組む。

2015/12/24
 

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