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祈り継ぐ震災21年

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和歌山県職員 蘇理剛志さん
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和歌山県職員 蘇理剛志さん

【地域の歴史へと再定義を】

 -阪神・淡路大震災9年目に慰霊、追悼行事について論文にまとめ、自治体主催の慰霊祭が苦痛だった遺族がいたことなどを指摘した。なぜ研究を始めたのか

 私自身、震災で弟が亡くなり、遺族として参加してきた。弟の葬式や法事とは別に慰霊祭があり、私たちはそれを受け入れる形で参加した。この状況をどう理解すればいいのか。それが研究のスタートだった。

 -震災が発生した1月17日は毎年、神戸市中央区の東遊園地で開かれる「1・17のつどい」や、被災時に住んでいた同市東灘区で地域の慰霊碑も訪れている

 東遊園地の行事は、世界中に向けて震災を発信する場所で、そこに参加するという意識がある。大勢の方が来てくださり、優しさやぬくもりを感じられる場所だ。遺族だけでなく、地域の人々が震災を考える場所だと感じる。東灘区で地元の方々が続けてくださる行事でも、暖かい部屋に入れていただき、とてもありがたい。

 -震災20年が過ぎ、そうした各地の行事が岐路を迎えている

 街や社会が震災の記憶を支えきれなくなっている。都会は住民の新陳代謝が激しく、自治会の担い手が新しくなる中では、想定内のことだと思う。慰霊や追悼は、本来は個々人の意思に支えられた行為で、それに新たに関われと言っても、違和感がある。

 一方、地域で続いていくものはある。例えば、神戸市長田区などで盛んな地蔵盆。伝統的な信仰の中に震災の慰霊の要素を入れる地域もある。何が何でも続けるべきだと思わないが、続けるなら地域の人々が受け入れやすい工夫、仕掛けが必要だ。問われるのは震災を記憶としてではなく、地域の歴史として定義し直せるかどうかではないか。

 -震災30年で論文の続きを書くという。なぜか

 30年で世代は完全に変わるだろう。今はその過渡期。慰霊、追悼行事をどんな思いでやめ、続く行事はなぜ残ったのかを考えたい。残すための工夫も分かるはずだ。その事例は、東日本大震災など、後の自然災害の被災地にも生かせる。(聞き手・高田康夫)

 そり・たけし 1976年、神戸市東灘区出身。高校3年生で被災。大学院生の時に「阪神・淡路大震災と慰霊-『震災モニュメント』以前」(『現代民俗誌の地平3 記憶』に収録)を執筆。2007年から現職。津波災害からの地域文化保護などに取り組む。

2015/12/27
 

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