明石海峡大橋特集
明石海峡大橋の開通から4月で20年。淡路島と本州との往来は簡便になり、数多くあった淡路島発着のフェリー、旅客船はただ一つの航路を残し姿を消した。しかし2017年夏、洲本-関西空港航路が10年ぶりに復活。洲本-深日(ふけ)航路も再開に向け動き始めた。この20年間、唯一残っていた岩屋-明石航路の利用者数も復調に転じた。キーワードは「観光」。広く瀬戸内海に目を向けると、豪華新造クルーズ船の就航をはじめ、船を巡る動きが活発化している。今、船が持つ可能性とは-。関係者へのインタビューを通し、船による地域活性化を考える。まずは、元洲本市立淡路文化史料館館長の田村昭治さん(86)に歴史をひもといてもらう。
淡路島の近代化は、開国後の海上交通の変化とともに始まる。殖産興業を進める政府は明治2年、平民の汽船保有を解禁。淡路でも民間企業による貨客運送が始まり、新たな産業構造の形成へとつながる。
「淡路で近代的な事業として貨客運送が始まったのは明治13年。淡路汽船が洲本-阪神間に定期航路を開設した。程なく、持ち船を増やし西浦航路にも進出。やがて全島でくまなく船を走らせるようになる。その後、プレーヤーは大阪商船へと変わり、航路は加太、兵庫へと拡大。福良-撫養(むや)間を結ぶ航路もでき、淡路は明石、神戸、大阪、四国と四方を定期航路で結ばれ、活気づく」
「この間の大きな出来事が洲本港の改修だ。大阪湾に開けた近代的な港湾に生まれ変わることで、鐘淵紡績の新工場誘致に成功した。洲本は淡路随一の産業都市へと成長していく」
大正期には、船は新たな時代を迎える。淡路は京阪神から船で気軽に行ける観光地として脚光を浴び、船は大量の観光客を乗せ、航行するようになる。
「大衆の動きに先駆け、明治14年に英国人のイートンが『淡島遊記』を、同40年に英国人の日本研究家B・H・チェンバレンが『日本旅行ハンドブック』をそれぞれ刊行。淡路観光について記している。〈汽船が仮屋に近づいてくると、絵のような風景が目に入ってくる-小さなかわいらしい入江、ゆるやかな曲線を描く海岸線、海辺に並ぶ松の木…〉-。2人とも、淡路への船旅をすっかり気に入ったようだ」
「大衆への広がりは大正3年、大阪商船系の摂陽商船の誕生から。淡路発着船の運航を担い、行楽シーズンには大阪、兵庫と洲本とを2時間余りで結ぶ直行便を走らせた。大阪-洲本航路の淡州丸は、白い船体から煙を黒髪のようにたなびかせ『大阪湾の淑女』と呼ばれ、愛された」
昭和のハイライトは、クルマ時代の到来によるフェリーボートの登場だ。国道28号(神戸市-徳島市)を海上でつなぐ「動く国道」は人、モノの大量輸送を実現させたが、1998年の明石海峡大橋開通に伴い、役目を終える。
「フェリーボートは岩屋-明石、福良-鳴門間で昭和29年、県営事業としてスタートした。経済白書が『もはや戦後ではない』と宣言するのは、その2年後のことだ。当時の写真が残っているが、乗船を待つ車の列は大変なもの。これを解消すべく、東浦出身の三洋電機創業者・井植歳男氏が『淡路フェリーボート』を設立し、浦-長田、大磯-須磨などの航路を開設した。うずしおラインなど道路整備が進み『夢の架け橋』と揶揄(やゆ)された明石海峡大橋も現実味を帯びる。日本全体が元気だったとはいえ、あのころの淡路経済の活況ぶりは夢のようだった」
「大鳴門橋の開通、バブル経済の崩壊、阪神・淡路大震災を経て明石海峡大橋が開通する。『島が島でなくなる日』。前後して、海の道は消えていった。市役所勤めをしていたころ、船でよく神戸や大阪にお芝居を見に行った。帰路、どんどん近づいてくる島を見ると、ああ帰ってきたなと思った。ああやって古里を見ることが、今の子どもたちにはない。われわれの先祖は海人(あま)族。そのDNAを次代に引き継ぐことが、船を知る世代の役目だと思う」(西井由比子)
▽たむら・しょうじ 1931年京都府宇治市生まれ。洲本高校卒業後、洲本市役所入庁。同市立図書館長、淡路文化史料館長、淡路文化協会長などを歴任。99~2000年、同協会企画展として「失われた海の道、回想の船旅展」を開催した。洲本市在住。
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