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明石海峡大橋特集

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 香川県東部に位置するさぬき市津田町津田。瀬戸内海に面した津田港から約100メートル西に、「三ツ星ベルト」(神戸市長田区)の四国工場はある。自動車の伝動ベルトを製造する工場の責任者はこう言い切った。

 「明石海峡大橋の恩恵は大きい」

 車で5-10分の高松自動車道・津田寒川インターチェンジ(IC)から、神戸淡路鳴門自動車道の鳴門ICまで約40キロ。

 「1日半かかっていた名古屋工場への出荷が1日かからない。神戸本社へ日帰りでき、出張経費は4分の1になった」。戦時中、都市部から疎開する形で建設された四国工場だが、今や同社の主力工場になった。同社は、約50億円を投じて同工場を増強する計画だ。

 明石架橋後、関西と四国を結ぶ物の流れは激変した。阪神以東から徳島へ送る貨物は従来、いったん高松に輸送し、そこで仕分けして送っていたが、今は、大半が明石海峡大橋を経由し直接、徳島へ届けられる。

 効果は農家にも波及した。

 徳島県畜産研究所によると、同県の地鶏「阿波尾鶏」の出荷量は1997年度、約36万羽だったが架橋後に倍増し、その後も右肩上がりが続く。四国外への出荷は現在約7割を占める。「後継者が戻ってきたと農家は大喜び」と同研究所の担当者は話す。

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 物流を変えた明石架橋の事業化が正式に決まったのは、バブル景気前夜の85年末だった。4年前に博覧会「ポートピア’81」を成功させた神戸経済も活況に沸いていた。

 「より弾みをつけるため、(架橋で)四国との人や物の交流を活発化させたい」。当時の神戸商工会議所幹部らは「地元経済界の共通した思いだった」と振り返る。91年にバブルがはじけ、95年に阪神・淡路大震災が起きてからは「落ち込む神戸経済の再生に、大橋開通は大きな希望」と期待を寄せた。

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 だが、期待した恩恵に、すべての人が浴したわけではない。

 兵庫県が、淡路の中央部東岸を埋め立てて造成した産業団地。分譲用地計153ヘクタールのうち、売れたのは68ヘクタール。わずか4割にとどまり、いまだ空き地が広がる。県臨海整備課の担当者は「橋の通行料金が高い、と企業側に言われる」と漏らす。

 四国経済にとってもメリットだけではなかった。運送業界では、四国外のトラック事業者が徳島方面の輸送に参入。運賃をめぐり競争が激化した。徳島県内の中小運送業者は「近畿や東京の大手に貨物を取られ、売り上げは半減した」と明かし「架橋は本州にとって有利だっただけ」と不満をあらわにした。

 明石架橋の経済効果。明暗が分かれている。

2008/4/5
 

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