エッセー・評論

木皿食堂

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撮影・木皿泉

撮影・木皿泉

 不公平な世の中だけれど、「終わり」だけは誰にでも、もれなくやってくる。我々(われわれ)は、いつその「終わり」を迎えるのだろう。考えてみれば、それがいつなのか知らないので、これが最後の晩餐(ばんさん)か、と真剣に思い詰め、「この世の名残、世の名残」という気持ちで食べ物を選んだことなど、ない。よく最後に何を食べたい? などと聞いたりするが、それは、どこまでも空想の話で、ステーキが好きだとしても、これから死ぬかもしれないという時に、喉を通るとはとても思えない。私たちは、生きていることが突然、断絶されるなどとは微塵(みじん)も思っていないのである。

 ところが昨年、マヤ暦が“終わり”を迎え、世界が滅亡するかもしれないと世の中が騒ぎ出した。諸説あるらしいが、12月22日の午前4時、一人で終えるのは寂しいと独身の友人たちがわが家に集まり、鍋を食べながらその日を迎えることになった。世界が終わる日だと言うものの、久しぶりに会う人ばかりで、みんな、それぞれがおしゃべりに夢中になり、肝心の“終わり”とされる時間は誰も気づくことなく、いつの間にか過ぎていった。結局、何も起こらず、世界は変わることはなかった。「そりゃそうだよねぇ」とお開きとなり、時間通りに来る始発電車に乗って、それぞれが自分の家へ帰って行った。

2013/1/13

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