エッセー・評論

木皿食堂

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撮影・木皿泉

撮影・木皿泉

 先日、甥(おい)の結婚式に出席した。新郎新婦がいろいろ工夫したらしく、面白い式だった。最後は両親に花束ではなく、記念品を贈呈するのも、これからしっかりした家を築くんだろうなぁと頼もしく思えた。新郎の父は、挨拶(あいさつ)があるので酒を控えろとみんなに言われていたが、そう言われることがプレッシャーになったのだろう、かえって飲んでしまう。挨拶が始まった。型にはまらない、自分のコトバでやりぬこうと考えてきたらしく、好感の持てるすべり出しだった。が、花嫁の名前を言った次の瞬間、絶句してしまった。言うべき話を忘れてしまったのだ。私も講演会でこんなことはよくある。私は、今、ここで何をしてるんだろうと思ったとたん、頭が真っ白になってしまうのだ。「あ、迷子になった」と私は思った。話は戻ったり飛んだり、迷走を始める。それでも、懸命にたどり着くべき場所を求めて、ぐだぐだと話し続ける。それがとても面白かった。最後は、こんないい息子に育ったのは、自分たちではなく、先月亡くなってしまった愛犬ラブちゃんのおかげだというところに落ちついた。私と義姉は、涙が出るほど笑っていた。笑いながら、会社や飲み屋で、たぶん家族の話などしたことのない人が、初めてしゃべった家族の話なのではないかと思った。

 昔、「ラッキーボール」というパチンコにはまっていたことがあって、ほぼ毎日行っていた。同じような人が何人かいて、名前は知らないが、家族より長く時間を過ごしていたと思う。コーヒーをおごったり、おごられたり、楽しかった。「キレイなお姉さん」と呼ばれていた人は、強かった。4時になると、パッとやめて帰ってゆく。見かけなくなったなぁと思ったら、商店街でばったり会った。19歳の息子さんを病気で亡くしたのだと言った。私は絶句した。のんきにパチンコを打っていた人にそんな話があるとは、思ってもみなかった。それから十数年後、彼女によく似た人を見かけた私は追いかけた。パチンコ屋に入って、ふらふら歩いているのは迷子の子どものようだった。台を見つけて打ち始めたので、私は隣に座った。私が話しかけたいそぶりを見せると、彼女は全く覚えていない様子で「違う、違う」というふうに手をふって、パチンコに戻ってしまった。少し年を取っていたが、キレイなお姉さんに間違いなかった。夕方の6時だった。もう4時に帰る必要はないのだろうか。家族を亡くして、迷子になったままの十数年だったのだろうか。気がつけば私も迷子のような気持ちになっていた。あのパチンコの仲間が家族のように過ごした時間は、本当はなかったような気がしたからだ。

2015/11/1

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