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金哲彦さん スタート地点で復興の象徴「ひまわりの手袋」を振るランナーの姿に、幸枝さんはとても感動したという(幸枝さん撮影) がんを克服し現在は年間7、8回フルマラソンを走っている。走ることは楽しみ 妻の幸枝さん(右から2人目)は昨年の神戸マラソンにメディカルランナーとして参加
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金哲彦さん

スタート地点で復興の象徴「ひまわりの手袋」を振るランナーの姿に、幸枝さんはとても感動したという(幸枝さん撮影)

がんを克服し現在は年間7、8回フルマラソンを走っている。走ることは楽しみ

妻の幸枝さん(右から2人目)は昨年の神戸マラソンにメディカルランナーとして参加

  • 金哲彦さん
  • スタート地点で復興の象徴「ひまわりの手袋」を振るランナーの姿に、幸枝さんはとても感動したという(幸枝さん撮影)
  • がんを克服し現在は年間7、8回フルマラソンを走っている。走ることは楽しみ
  • 妻の幸枝さん(右から2人目)は昨年の神戸マラソンにメディカルランナーとして参加

金哲彦さん スタート地点で復興の象徴「ひまわりの手袋」を振るランナーの姿に、幸枝さんはとても感動したという(幸枝さん撮影) がんを克服し現在は年間7、8回フルマラソンを走っている。走ることは楽しみ 妻の幸枝さん(右から2人目)は昨年の神戸マラソンにメディカルランナーとして参加

金哲彦さん

スタート地点で復興の象徴「ひまわりの手袋」を振るランナーの姿に、幸枝さんはとても感動したという(幸枝さん撮影)

がんを克服し現在は年間7、8回フルマラソンを走っている。走ることは楽しみ

妻の幸枝さん(右から2人目)は昨年の神戸マラソンにメディカルランナーとして参加

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 「感謝と友情」をテーマに掲げる神戸マラソン。支えられ、励まされ、勇気を与えてくれた人や出来事への思いを込めながら、2万人のランナーが42・195キロを走る。11月20日の第6回開催まであと1カ月。フレンドシップランナーの桂吉弥さんと大会ゲストの金哲彦さんに、神戸マラソンに臨む思いを語ってもらった。

-マラソンとの出合いは

 生まれ育った福岡県北九州市は、メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さんの出身地であるほか、実業団チームもあり、長距離走がポピュラーな土地だった。鬼ごっこなどをして自然に鍛錬されたのか、小学校の校内マラソンで1位になった。それがきっかけで中学では陸上部に入り、中学時代は県内で1、2位を競うまでになったが、高校では体調を崩してインターハイに出場することができず、苦しい思いをした。

-箱根駅伝では山登りの5区を担当

 早稲田大で多くの名選手を育てた故・中村清監督に出会い、人生を揺さぶられた。ひと言でいうと武士のような人で、練習前に3時間ほど話をして、選手の集中力を高めてからトレーニングをする毎日。修行のようだった。

 登りが得意だったわけではなかったが、本番3カ月前の10月に「ちょっと山を走ってこい」と言われ、下見をしたこともないコースを試走。コースをあらかじめ知らなかったおかげか、ただひたすら走るだけだったが、そこそこのタイムが出て。それで1年生で5区に抜てきされた。

 後日談があって、マネジャーを務めていた先輩から聞いたのだが、中村監督は入学直後の私のことを「あいつの走りを見な。早稲田の山の歴史が変わるよ」と言われたそうだ。その後、4年連続で5区を担当し、区間賞を2度獲得した結果を見て、その先輩は監督の眼力に背筋がぞっとしたと言っていた。

 中村監督はおそらく私の気持ちの強さをすぐに見抜いたのだと思う。

-クラブチームを作った思いは

 社会人になってからも実業団チームを創設し、競技生活を続け、オリンピックを目指したが、なかなか思い通りに結果は出なかった。その後、監督を経験した後、総合型地域スポーツクラブ「ニッポンランナーズ」を設立した。

 実業団で教えるスキルを持つ者が一般の市民ランナーを指導することは珍しいことだった。当時のマラソンレースといえば、競技者だけの閉じられた世界で、一般ランナーが参加できる著名な大会はまだ多くはなかった。市民ランナーが参加できる大会が増えることを見越しながら、競技スポーツと生涯スポーツを融合し、正しい知識を伝えることによって、もっと多くの人にマラソンを楽しんでほしいという思いを持っていた。

 その後、制限時間を7時間にした東京マラソンが創設されたことでハードルが下がり「私でも走れる」と思う人が増え、現在の普及のきっかけになったと思っている。

-2006年には大腸がんを患った

 手術は成功したのだが、転移や再発がないだろうかという恐怖に苦しめられた。ただ、クラブでの練習で走っている時だけは、その恐怖を一時的に忘れることができた。

 手術から約1年後に出場したゴールドコーストマラソン(豪州)では、膝が痛くて歩きながらのゴールだったが、少なくとも自分には走れるだけの健康があると実感でき、足が痛いことさえもうれしく感じた。

 がんを患ったことを公表してからは「私もこの前手術しました」といろいろな方に声をかけてもらえるようになった。重い病気にかかった人が、走ることによって少しでも元気になれたらと思う。

-今は市民ランナーのための大会も増え、多くの方が走ることを楽しむようになった

 ランニングをされる方の年齢層は40~50代が中心だったが、近年は30代も増えている。それでもランナー人口の多い徳島県や沖縄県でも、人口に対するフルマラソン完走者の数は1%ほど。もっと多くの方に走る喜びを味わってほしいと思う。

 若い時から有酸素運動をする習慣を付ければ、生活習慣病になるリスクが減るし、足腰の筋力を鍛えることで健康寿命を延ばすこともできる。

-神戸マラソンの印象は

 大学3年生の時に神戸・ポートアイランドで開催された日本インカレの30キロ走に参加し、優勝した。全国レベルの大会で初めて優勝した思い出の地でもある。

 阪神・淡路大震災当日は、前日に京都で開かれた全国女子駅伝でコーチとして千葉県チームを率いており、滞在していた京都でも大きな揺れを感じた。「感謝と友情」は神戸マラソンらしいテーマだと思うし、海外のマラソンでは「誰かのために」を掲げて走るランナーもたくさんいる。

 昨年の神戸マラソンにメディカルランナーとして参加した妻(林幸枝さん)から「感謝と友情」の気持ちを表すために、ランナー全員で黄色い手袋をつけてスタート地点に立ったことにとても感動した、と聞きました。また「あんなに沿道からありがとうと言われたマラソンは初めて」とも言っていた。

 そのような素晴らしいコースを走れることを楽しみにしているし、どのような出会いがあるのかも楽しみにしている。

-参加するランナーの方にひと言

 本番まで残り1カ月なので、自己記録に挑もうとしているランナーは現在、走り込みを継続しているところかと思う。気候もちょうどよくなってきたので、本番までしっかりトレーニングをして、後は故障をしないように気を付けてほしい。

 私は現在、年間7、8回フルマラソンを走っているが、私にとって走ることは楽しみ。ぜひ、神戸マラソンを経験して「走る楽しみ」を味わってほしい。

▽きん・てつひこ 1964年福岡県生まれ。早稲田大学在学中は箱根駅伝で活躍。卒業後、リクルートに入社し陸上競技部を創設。マラソンでは1987年別府大分毎日マラソン3位、89年東京国際マラソン3位などの成績を残した。引退後は監督に就任。2001年、クラブチーム・ニッポンランナーズを設立し、理事長に就任。市民ランナーから競技ランナーまで幅広く指導している。

2016/10/20
 

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