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手作りの給水ボトルを手に、神戸マラソンを振り返る松岡友美さん=20日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・笠原次郎) 手作りの給水ボトルを手に、神戸マラソンを振り返る松岡友美さん=20日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・笠原次郎)
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手作りの給水ボトルを手に、神戸マラソンを振り返る松岡友美さん=20日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・笠原次郎)

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手作りの給水ボトルを手に、神戸マラソンを振り返る松岡友美さん=20日午後、神戸市中央区港島中町6(撮影・笠原次郎)

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 今年も「ありがとう」の思いがつながった。阪神・淡路大震災からの復興と感謝を伝え、20日に6回目の開催となった神戸マラソン。今年4月、震度7の揺れに2度見舞われた熊本からも200人近い人が出場し、神戸の街を駆け抜けた。支援への感謝を胸に一歩を踏み出す人、その思いを受け止めた人。黄色のグッズがあふれ、約60万人が声援を送った沿道は、復興を象徴する「ひまわり色」に染まった。

 「楽しく走る、市民マラソンの素晴らしさを伝えたい」。三木市の会社員、松岡友美さん(35)は、今大会初めて招待選手として神戸マラソンに挑んだ。実業団を引退後、10年の空白を経て3年前に再び走り始めた。30キロ地点で脱水症状を起こしつつも、息子たちの励ましを胸にたどり着いたゴール。3時間4分11秒、20位。「家族や仲間の支えがあったから完走できた」と目を潤ませた。

 全国駅伝にも出場した高校時代、バセドウ病を発症。体重は激減し微熱が続いた。大学を経て、実業団に入った後も体調を崩し、走ることをやめた。だが、「やりたいことが見つからず、何をやっても中途半端だった」。

 4年前、東京から兵庫に戻ってきた。楽しそうに走る神戸マラソンのランナーに触発された。「もう一度走りたい」。2013年1月、「健康的に楽しく走る」をモットーに再開した。

 子育てや仕事に支障のないよう、毎朝4時半から約1時間半かけてトレーニングを続ける。昨年3月、初のフルマラソンの篠山ABCマラソンで優勝。同年11月の神戸マラソンでは6位に入賞した。

 そして、今大会。30キロ地点を過ぎた時、意識がもうろうとし、足がもつれ始めた。周囲から制止されるほどの蛇行に、「やめることが頭をよぎった」。

 35キロ地点で受け取った給水ボトルに、息子からのメッセージがあった。「ぜったいしんどくてもあきらめないでね」。その言葉と、一緒に走る仲間に支えられ、完走した。

 「よく頑張ったね。ぎゅってしてあげたい」。応援に駆けつけた長男咲吾(さくご)君(9)と次男桜之介(おうのすけ)ちゃん(6)が自慢の母をねぎらった。松岡さんは「悔しさがあるから、また頑張れる。走ることで私は前を向けるんです」と汗を拭った。(貝原加奈)

2016/11/20
 

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