防災という分野が存在感を示すことはあまりなく、防災の研究者もほとんどいない。室崎益輝(よしてる)・兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長(75)はそんな時代に防災の専門家としての歩みを始めた。阪神・淡路大震災の地へ。震災から18年も前に赴任したのは、被災地にとっては数少ない幸運だったのかもしれない。
1995年1月18日、震災2日目。室崎は被災地に立ち尽くしていた。
学会で滞在した大阪から神戸へ戻る途上、西宮市内に入ると、2階建て住宅の1階部分が軒並みなくなっていた。青春時代を過ごした神戸・阪神間の風景は一変していた。つぶれた家の下敷きになった家族を呼ぶ声が耳にこびりつく。
初めて目の当たりにした惨状。観測史上初の震度「7」に見舞われた被災地を眼前に冷静さを失った。
約2週間後、室崎は滋賀県内にいた。300人が詰めかけた講演会の壇上で、室崎は涙を流していた。
「震度5の防災計画を黙認してしまった」。会場は静まり返った。
室崎が神戸大に赴任したのは1977年、32歳の時だった。京都大時代に京都市や大阪市などの地震防災計画づくりを担った後のことで、地震対策を整えていなかった兵庫県と神戸市に計画策定を働きかける。
神戸市が「都市経営の旗手」と呼ばれた時代だ。ニュータウンや人工島など開発行政にまい進した神戸市は85年になってようやく市防災会議の中に地震対策部会を設け、初めて「地震対策編」を編むことになる。
室崎は専門委員として学者側を取りまとめる役回り。画期的とも言える取り組みのはずだった。しかし震災後、計画に不備が明らかになり、室崎は追及の矢面に立たされる。
地震対策編が想定した地震の震度は「5の強」。震災後、報道機関から「なぜそれで被害想定をしたのか」と問われた。すぐに答えられず、動揺した。
「専門家としての結果責任を取らなければいけない」。正しい想定ができなかったことを悔いた。防災のあるべき姿へ歩みを進める。滋賀で流した涙は、誓いの涙でもあった。
尼崎市で生まれた。終戦1年前の夏、防空壕(ごう)で産声を上げたと聞かされた。地元の上坂部小学校を卒業後、神戸の灘中学・高校へ。弁護士を目指していたが、理系科目の成績が良く、建築士志望に路線を変え、京都大工学部へ進んだ。
大学院の修士課程に在籍した1968年、転機が訪れる。有馬温泉の旅館「池之坊満月城」で火災が起き、宿泊客ら30人が死亡した現場に、後日たまたま立ち寄る機会があった。建物は増築を重ねて入り組み、客の避難を困難にさせていた。
「建築が人を殺す」ことにショックを受けた。すぐさま研究室を替え、研究対象を火災にした。周囲は「ばかなことをするな。防災はカネにならない」と言ったが、意に介さなかった。
時を同じくして、高度経済成長のひずみを象徴するような災害が相次いだ。
千日デパート火災(72年、死者118人)や大洋デパート火災(73年、死者103人)、宮城県沖地震(78年、死者28人)…。室崎は大災害の現場を飛び回る。また、駿河湾付近を震源域として「明日起きるかもしれない」とされた「東海地震」説も社会を揺るがした。対策として、78年に「大規模地震対策特別措置法(大震法)」が制定され、各地の行政で地震防災計画づくりが動き始めていた。
数少ない専門家として、室崎も各地で計画策定に携わる。神戸市の地震対策部会では、行政と専門家で分かれた意見を必死にまとめた。「計画をまず作り、段階的に強化すればいい」
しかしその思いは、震災であだになった。市民は、行政が経済開発を優先するため想定を意図的に低く見積もったと受け止めた。室崎は片棒を担いだ「共犯」と糾弾される。
震災後、室崎は被災地の実態調査や復旧・復興の課題解決に没入していく。
脳裏には、関東大震災で火災調査を行った物理学者・寺田寅彦があった。寺田は他の研究者や教え子たちと被害の実態解明に取り組んだ。
一般の研究者ならば調査結果を論文や本の形にまとめるが、室崎は違った。あえてシンポジウムや記者会見などで発信していった。火災調査の結果を市民に直接伝えようと、神戸市勤労会館で開いた報告会は、満員の被災者でごった返す。
「目の前の被災者に役立つ研究をする」。調査で訪れた避難所は、過密でプライバシーがなく、危険という理由でストーブを置くことも許されていなかった。
「困っている被災者の悩みを解決できない調査は意味がない」。専門家の在り方が室崎の中で明確に変わった。
延べ千人の学生ボランティアらの協力を得て実施した被災家屋の全数調査は、約50万棟の被災実態を明らかにした。犠牲者一人一人の生きた証しを残すため、遺族への聞き取り調査も手掛けた。
調査や復興まちづくりなどの活動をともにしてきた都市計画の専門家、小林郁雄(74)は室崎について「被災者の声を学問の世界に届け、学問の知見を被災者に伝えてきた、類を見ない存在」と評している。
被災者目線で走り続けた室崎は、同じ志を持つ人々と出会う。仮設住宅や復興住宅で孤独死を防ぐための被災者支援に奔走した黒田裕子=2014年死去=や、「最後の一人まで」寄り添う理念を説いた国際法学者で神戸大名誉教授の芹田健太郎らに刺激を受けながら、室崎は自らの立ち位置を確立していく。
阪神・淡路から4年後、被災者と行政の間に立って提言・助言を行う第三者機関「被災者復興支援会議」の座長に就く。提唱者は当時の兵庫県知事、貝原俊民=14年死去=だった。貝原は、関東大震災の被災者支援に尽力した神戸の社会活動家の名前を挙げ「賀川豊彦さんのように、被災者が困ったときに心のよりどころとなることを期待する」と語る。賀川の役割を室崎に重ね合わせた。被災者の声をすくい上げ、行政に汗をかかせる-。室崎は被災地を奔走した。
今年9月1日。テレビには、国民向けメッセージを読み上げる安倍晋三首相が映し出されていた。画面右上には訓練の文字。防災の日、政府の総合防災訓練が行われていた。
NHKの番組出演直前、スタジオで中継を眺めていた室崎は首をかしげる。首相は用意された原稿を読み上げるだけ。訓練では不測の事態を起こさなければならない。なのに、スケジュール通りにしか進まない。「予定にないトラブルや予想外の展開がなければ、訓練の意味がない」。災害は想定を上回る。それは阪神・淡路の最大の教訓だったはずだ。
「正しく恐れ、正しく備えること。それが最も重要だ」。続く番組に出演し、命を守るためにどうするべきかを問われた室崎は、迷いなく答えた。=敬称略=
(金 旻革、竹本拓也)
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阪神・淡路大震災は私たちの社会に何を残したのか。災後の四半世紀をあらためて振り返り、次なる災害への備えとするため、防災学者の室崎益輝さんとともに問い直したい。
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